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サーフィンが日本に伝わった裏には!

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「日本人そしてサーファーである貴方に話しておきたいことがあるんですが、お時間とっていただけますか?」

頻繁に子供たちとワイァルアの図書館に通っていたある時、その図書館の館長に引き止められたんです。いつもなら本の貸し借りや近日中に行われるイベントの話しかしない館長が、個人的に聞いてもらいたい話とは。。。いったいなんなのだろう?

何か子供たちがマズイ態度をとったのだろうか?
恐る恐る耳を傾ける私に、館長は続けた。

「実はこの近くに日本人のおばあさんが住んでいてですね、、、、このところその方もお歳のせいかいらっしゃらなくなりましたが、、、以前こんな話をしてくれたんです。」

日本から移住された方のお話か。
どんな歴史的な話をしてくれるのだろうか?
すぐに私は彼のお話に世界に引き込まれていきました。

「その方、ローカルの人と結婚なされノースショアに住んでいました。図書館をよく利用されていたんですが、ある時、こんな話をしてくれたんです。その方が自分の祖国、つまり日本ですよね、遊びに行ってた時のこと。「太平洋戦争」が、始まった時のことです。ご存知だと思いますが、ハワイの真珠湾が日本の攻撃を受けた為、日系人たちの多くが「無実にもかかわらず」スパイとみなされて収容所に入れられてしまっていた時です。当然、彼女はハワイに戻ることを遅らせました。いつまで続くかわからない戦争。残して来た家族を思い、悶々とした日々を過ごしていたそうです。」

「知識にはありましたが、お辛かったでしょうね~」

「そうなんです。ですが、自分の力ではどうしようも出来ない状況ですからね。悲しんでいても始まらない。地元ノースショアで楽しんでいたサーフィンを近くの海で始めることにしたそうです。」

「東京大空襲で被害を受けた人は多くいますが、状況が安定している時もきっとあったんでしょうね」

「波乗りをしていたのは、確か、湘南って言っていましたね。当時、誰もサーフィンなんかしてなかったそうですが、地元の人と工夫しながらボードを作り、楽しんでいたそうです。日本の人たちは、見たこともない様な彼女のサーフィンにかなり衝撃を受けたそうです。次から次への「俺もやりたい」という人が現れたと。サーファーの集まりができた頃に、戦争が終わり、ハワイに戻られたそうです。」

「すごい!てことは、もしかしたら彼女のお陰でサーフィンが日本に普及したのかもしれない。それだから、私がそのサーフィンに巡り合ってハワイに来れることになったのかもしれません!その方に会うことは出来ないでしょうか?」

「残念ながら私の方では図書館の利用者がどうなされているのかまでは。。。ただ最近は全く訪れなくなりましたね。お元気でいてくれればいいんですが。。。貴方が、サーフィンを通してノースショアに移住された日本人、しかもライターさんということを聞いて、どうしてもこの話をしておきたかったんです。聞いてくれてありがとうございます。」

「いいえ、とんでもない。貴重なお話を私にシェアしていただけて本当に感謝しています。」

話をシェアしていただいてからかれこれ10年が経とうとしています。カウンター越しの立ち話だったのですが、忘れられない話の一つ。とはいえ、普段は忘れているんですよ。でもなぜか昨夜寝ている時に、その話が浮かんできて「日本の皆様にシェアしなければ」と自分が自分に指令が出た(笑)。違うストーリーを用意しておいたというのに(笑)

実は私、何年かに一度、このストーリーをブログなどでシェアして来ました。不思議なことに毎回書くたびにそのお話から出るメッセージが違うんです。以前、病院に勤めていた頃、飲み会で、検査技師をされていた先輩にこんなことを言われました。「読者の面白いところは、同じ本がなんども楽しめるということ。同じ本でも、若い時に読んで感じたとと、歳を重ねてから読んで感じることは違うから」。。。それと同じ。

今回改めてこの話をシェアしながら、ウエストサイドの聖地を守るミネフネの先祖のおじさんとの会話を思い出していました。

「女性のエネルギーはね、四季なんです。」

「え?四季? 春、夏、秋、冬の?」

「そうです。私たちのこの「生きる世界」には自分の手ではどうすることも出来ないことが頻繁に起きる。例えば戦争。罪のない人たちが、悲しみ苦しむ。。。。。それでも。。。。。それでも戦争があったことで、多くのことが変わっているのは事実です。時には良い結果になることもあります。そこには女性のエネルギーが働いているからなんです。どんな物事にも二面性があるんです。言い換えれば苦しいことでも楽しめる部分が必ずある。四季が変わる様に、女性のエネルギーがうまく働けば、苦しみを楽しみに転換できるのです。」

彼女が日本に行っている間に予期しない戦争が起き「悲しいことに」家族とバラバラにさせられてしまった。けれどサーフィンを前向きに取り組んだ。その結果が、私たちにまで繋がっているとしたら!!!

確実にサーフィンは私の気分を晴らす大切な道具。言い換えれば私がサーフィンを楽しむことで、私の生活を、私の周囲を、明るくしてくれている。きっとそれは、彼女の女性エネルギーが働いているのかもしれません。

そう思えてならない今日。ノースショアには、ファンサーフが押し寄せてきています。
書くのはこれくらいにして海に行ってきます!

それでは次回までアローハ!

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写真 JPSA理事長 牛腰峰統プロのエアー

 
  
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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