長~いことお付き合いいただいたWAIKIKI歴史探訪。今回は最終回になります。
で、皆さん、パワーは残ってますか?
残っているのなら登ってから。残ってないのなら麓でお話ししましょう(笑)
それでは始めます。
多くの人がトレッキングに訪れるダイアモンドヘッド。古来の呼び名は、レイアヒ。ハワイ語でレイアヒは、マグロのオデコです。
由来となる伝説を書きます。
ご存知、火山の女神ペレ。彼女は、いっとき、ここを住まいにしようとしていたことがありました。しかしペレがここで火を起こそうとするたびに、ライバルのナマカオカハイ、海の女神が、波をかけて火を消してしまう。仕方なくペレは、この場を離れ、ビックアイランドハワイ島のキラウエア火山に住むことにしたのです。
ペレが立ち去る時に兄弟の中でも一番可愛がっていた妹のヒイアカが、火口がイエローフィンツナ、キハダに似ていると言ったことから、レイアヒと名付けられたということです。
古代ハワイの暮らしの中では、頂き近くで、火を灯すことにより夜の海に出ているカヌーのガイド。灯台の役目を果たしていたということです。
崖は、ハワイアンチーフたちホールアという寝て滑るそりのスポーツを楽しんでいたというけど、あんなゴツゴツした面をどうやって滑り降り降りたんでしょうねえ。カメラがあれば見れたのに。残念(笑)
英語での名前ダイアモンドヘッドの由来は、イギリスの航海師が、ここにある方解石をダイアモンドだと間違え、あの山にはダイアモンドがたくさんある、と盛り上がり、そのまま名前になってしまったそうです(笑)
ここ2世紀の間、ダイアモンドヘッドは様々な人の手で絵画になり写真になっています。フラや歌にもよく登場しています。特に有名なのは、カイマナヒラです。
古代の話はとてもホノボノしますよね。残念なことに、そのノームはやはり大戦の時に変わってしまいました。米軍の隠れ場として使われたのです。
その元を作ったのが土地の売買。1905年、ハワイがアメリカの植民地だった頃、今の値段にすると八万ドルで、軍がダイアモンドヘッドを丸ごと買った。今の不動産で現すと、小さなマンションの一室程度の値段!!
第一次世界大戦の時に念密に作られたトンネルやバンカー、武器庫が掘られ、頂きには戦車がおかれました。通信システムもダイアモンドヘッド全域に張り巡らされました。そして第二次世界大戦。日本が真珠湾を襲撃してきた時、ダイアモンドヘッドは避難所となりました。
大戦の後、残された戦争の武器は撤去されたり民間防衛の組織や、航空庁、ハワイのナショナルガードが引き取られ、ダイアモンドヘッドは州に返還されました。
その後は、第二次世界大戦の色が今だ残る中で、トレッキング公園または、屋外コンサート場として、多くの人を迎え続けているのです。
ホォ~~~
近日の調べによると。ダイアモンドヘッド レーアヒは、475エイカーの広さで、30万年前に出来た火山凝灰岩(ギョウカイガン)ということが明らかになっています。
実は公園の裏からも頂上まで歩くことができるんですよ~
どうでした?
あなたの中でハワイが濃くなったのではないでしょうか?こうしてワイキキだけを見ても、本当に、ハワイは歴史が凝縮されているところですよね。
いつも言いますが、ハワイの存在は、私たちに、何か大事なことを伝えてくれている様に思えてなりません:)
歴史探訪はこれで終わりますが、ハワイの話はこれからもシェアさせていただきます。お時間がある時に是非、読んでください。
それではまた次回まで
アロハ~!
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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