写真 / カヴァイアハオ教会ー教会と時計と王家は歴史上、深い意味を持っていました。
私たちは普段、当たり前の様に24時間で区切られた時間を一日とし、それに合わせて生活をしています。
朝6時に起きて、顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんを食べ『行ってきまーす』。。。そして仕事や学業を終え、ようやく寝床に入る時、『昨日と今日が違う日だった』と感じることができているのでしょうか?
『平日と週末の違いはわかるけど~、別にこれといって変わったことなんかなかったよ』 という貴方の声が、ハワイにいる私の耳元に届いてくる様です(笑)
会社人間になり、社会の人間になり、家庭の、そして国家の経済を盛り上げるのは、確かに今私たちが利用している西洋時間に委ねてライフスタイルを作り、それに従って生きることが今言われている『正しい』生き方なのかもしれません。
でも、この時間の区切りで生きていくことで「なんか体や心が疲れてるだよね~」と感じてしまう人、もしかしたら、西洋時間と古来の時間の違いを知れば、解決策が見つかるかも。今日は、軽く、そのあたりの話をして行きたいと思います。
『時間』
一日が今の様に、24時間に分けられる様になったのは、遡ってメソポタミア文明の時代。ほら小学校で習ったチグリス川、ユーフラティス川の近くで生まれて文明(メソポタミアン文化)です。シュメール人が作り出し、その後、エジプトで完成したんです。《砂漠から発生した》から、西洋時間なのです。
日本に最初に西洋式の機会時計がやってきたのは、1551年。イエズス会の宣教師フランシスコ·ザビエルが、持ってきた時計が日本で初の西洋式時計で、そのかなり後ですが、外国と貿易をする様になり、日本は西洋時間にあわせて生きる様になりました。それまでの日本は、日昇から日没までを基準に時間を設定していた為、季節により時間の長さが異なった。要するに『自然環境時間』で過ごしていたんです。
話はハワイに移ります。
ハワイの人たちが、西洋の時間を知ったのは、1778年。キャプテンクックのクルーが持ち込んだのが時計が、きっかけでした。時計は、映画に出てくる様な、クサリで首からぶら下がる時計でした。
そして、その34年後。初めて時計が西洋の人から寄贈されたのは、1812年のこと。カメハメハ大王がハワイを統括していた頃です。ハワイの山で育つサンダルウッドが海外に輸出され、その物々交換として、様々な西洋物品が、ハワイに届いた。シュミット&コックスの記述によると、ラハイナに到着した船には、洋服、鏡、サンダル、ランプ、釣り道具、そして大きな家に置く時計が入っていた。ということで、それが島に寄贈された最初の時計となりました
教会に掲げられた時計も、当時のハワイアンたちが西洋時間を認識する助けになりました。1840年から1850年代にかけて、次々と教会の聖堂に、時計が掲げられました。中でも有名なのは、1842年にジェイムス·ハンウェルからカヴァイアハオ教会のオルガンの下に掲げられた時計です。その時計は、ニューイングランドスタイルのもので、4つに面が分かれているもの(Kauikeaouli clock )で、カメハメハ三世のメモリアル時計です。
当時、物珍しかったその時は、街の教会や塔に堂々と掲げることで、その街のクオリティーを象徴するものとなりました。そして、街一番背の高い建物のテッペン近くに掲げられたその大きな時計は、村人の行動をも統一する大切な主軸でした。(個人が時計を持ち出したのは、そのずいぶん後になってからです)ただし、当時の時計は時間が狂いやすかった為、時計を直せる人が、当時、価値のある人とされていたそうです。
1924年にアロハタワーに掲げられた時計は、ランドマークになりました。当時は全米の時計の中でも最も大きい時計の一つで、7トンもあったそうです。大きければ大きいほど、海に浮かぶ船が何時ドックに入ってきたらいいのか、人々が何時出航の為にドックに行けばいいのか、遠くからでもわかり、(船が主要のトランスポーテーションだった時代)混乱を防ぐために、とても有効に使われていました。時計の毎日サイレンは朝7時、正午、午後4時に鳴らされていました。
写真 / アロハタワー4面に掲げられた4つの時計は、船が主要のトランスポーテーションだった時代、大活躍をした。
一見、西洋の時計が、市民の生活を統括し、生活水準がインプルーブしたかの様に思えますが、逆を言えば、先住民たちが使っていた自然時間(ハワイアンタイム)は、意味を失った。それに、比例して古いもの(自然)が消えてゆき、ビルディングが立ち並ぶ様になったのです。経済は発達していった。が、自然の一部となっていた人間、一人一人の体の中の時計が、消えて行ったということなんです。
うーん、人の精神や体調が崩れたりする意味もわかる様な気がしますよね~。ある意味、ロボット的に動かされているんですから。時計の威力と時計の美しさに憧れた王家の人た
ちは、特別に〇〇の時計を取り寄せたり頼んだりして、〇〇に寄贈したりしていた。西洋から入ってきて王家を虜にしたのは、アルコールだけではなく、時計もだった。逆を言えば、西洋の時間でロボット的に生きる様になった人間には、生き抜く為の魔水(アルコール)が、必要になったかもしれない、、なんて思えてならない。
では、アルコールもなく時計もなかった時代、人々が健康に生きていた時代を操っていた自然時間(ハワイアンタイム)とは、どういうもの何か?次のブログ(西洋時間とハワイアンタイム(その2))に書かせていただきます。
それではまた次回まで。
アローハ!
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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