「サーファーとして成長したいんですが、どうしたらいいんでしょうか?」
「子供をサーファーとして成功させたいんですが、どうしたらいいんでしょうか?」
うちのサリーがロングボードのハワイ大会で優勝するようになったり、世界大会WSLに参戦してトップに残る様になったせいでしょうか、それとも私がノースショアというハワイのメッカでサーフィンレッスンの講師を長く続けているからでしょうか? このところ、日本の人からこの様な質問を受ける機会が増えています。実は、過去に私も、質問をしてくださる日本の皆様と、同じ思いを抱えていました。時代はいきなり遡ります。1980年代に(笑)
私が波乗りを始めたのは、湘南の鵠沼海岸。ちょうど第一次サーフィンブームが巻き起こっていた頃です。海のない東京の街中に、波乗りをしたことにのないサーファーカットの髪型を決めた男女が、屋根にサーフボードを積みフォルクスワーゲンビートルを乗り回していた(笑)、そんな時代でした。当時、看護師見習いだった私の安月給で買えたのが、スポーツ店にならんでいたボディーボード(ブギーポード)。そでも波乗りは波乗り。実は私も最初は流行りに合わせたいというミーハーな気持ちでした。友達を誘って人ゴミと実際のゴミと混じりながら、見よう見まねで波乗りをしてみたその日の帰り道。驚いたことに、今までグレー(灰色)にしか見えてなかった世界がキラキラ光りだした様な気がした!!道ばたの雑草までも愛らしいと思えちゃったり(笑)。(いかに私が単純な人間かを理解してもらえたかと思います)
「極めたい!」
元々スポ根でバレーに打ち込んできた人間だった私なので、「極めたい!」の方向に吸い込まれてしまいました。でも、どうしたらいいのだろうか? 友人に相談するとその頃はやっていた「ファイン」を持ち出してきて「ここにレッスン情報があるから、電話してみようよ」と。早速電話。「極めるためにはどうしたらいいのでしょう?」「まずはうちのレッスンに来てみてください」。ということで200人近くいる湘南ブギークラブの会員になり、その中の同じく極めたい人間のエネルギーと掛け合わせ、海外の人を参考に、突き詰めていくことにしました。
数年後、看護師の資格をとってからは、海の近くの病院で住み込みで働きました。夜勤と日勤を混合にしたシフトをもらい、出来るだけ海に行く機会を増やしただけでなく、スポーツクラブでトレーニングを積み、好きだったディスコ通い(笑)も控えた。そして数年後、夢の日本チャンピオンを掴み、海外の大会を体験しに行くことが出来たのです!!はじめての世界大会はノースショアでした。しかもパイプライン。前もってエントリーはしていたのですが、本当に気軽な気持ちでした。というか、ハワイに到着した時、空港で大会の開催を知り、慌ててノースショアへ直行。練習もなしにパイプラインの波に挑んだんです!(なんとも無謀なことに!)パイプラインの波は予想以上に化物でした(笑)。日本の波とは全く違う。乗ったはいいけど、底がない。この時ほど重力を感じた時はなかったかも!(笑)その時の写真がゴルディーニョのファイルの中にあったので、のせますね。酷いでしょ!?(笑)
写真−1 初めてのパイプライン/初めての海外の試合
「出来ない事を認めたくない!」
ここからは世界に出て極めるという気持ちよりも、他の人たちはスイスイ乗っているのに、パイプラインの波に全く歯が立たなかったのが悔しく、さらなる努力を始めました。そして数年後。。。
「彼女よりも上手い選手はたくさんいるけど、尊敬する人物はエミコ。だってエミコの努力は真似できるものじゃないもの。」
波乗り仲間になった世界チャンピオンのステファニーが雑誌のインタビューでこう発言してくれました。嬉しいっていうよりも、きっとおわかりいただけたかと思います。いかに私が熱血であったということと、才能がなかったということが(笑)。結局、何度も出た世界大会での最高位は5位。どうしてもそれ以上に登ることが出来なかった。とほほ。(涙)
「なぜ極めることが出来ないんだろう?」
時として真面目になり落ち込むのが私の特徴でもありまして(笑)真面目に「なぜ極めることが出来ないんだろう?」を調べました。ちょうど世界を目指している時に、シェーン•ホラン(世界年間ランキング2位を4年連続でマークした人)やボディーボード世界チャンピオンや元パイプマスターズのロビーページが同じ宿に泊まっていたので、彼らの行動を観察してみたんです。「何が私と違うんだろう」って。
写真-2 オフザウォールに無理して突っ込んでいた当時の私
大きな違いは食べ物でした。体の中に入れるものに、彼らはものすごく気を使っているんです。例えばパーティーにいったとして、誰かが「これ私が作ったの、美味しいから食べてみて」と言われても、「ごめんなさい、わたし、菜食主義で、決まったものしか食べれないの」と、キッパリ断る。相手が嫌な顔をしても気にしていない。よくよく見ると食べ物だけではない。彼らは意識の中で「自分は選ばれた人間なんだ」という自覚があるから、日常何するにしても「トップ選手」としての、プライドを崩さないんです。ただ偏ったものではない。人間味に溢れるキャラがスポンサーやメディアに受けるのも知っている彼らは、人付き合いまで上手にマネージしていたのです!!
「堺さん、スポーツマンは、スポーツで技術がたけているだけでは成功しないんですよ。本当のスポーツマンは、スポーツマンである前に、人間でなければならないんです。」
中学校の時に担任の先生がオリンピック選手が言っていたという言葉だと、バレーボールに夢中だった(偏った人間の)私におっしゃってくれた言葉。忘れていたその言葉が、彼らと接しているうちに何度も何度も浮かび上がってきました。が、結局、時間切れ。見えてきた時には、30歳近く。夢を切り替えなければ、次の人生を歩めないと、路線を変えることにしたのです。母親になるという決意と、メディアとしてスポーツマン(サーファーたち)の精神性を突き詰めていこうと。さらに見えてきたことを次回のブログ記事で書きます。
写真-3 海外の試合参戦した時に撮ってもらった集合写真
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI
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