先日マウイ島のプッウネネにあった「最後のサトウ工場」が、閉鎖しました。
145年続いた「砂糖の時代の幕が降りた」。。。。感慨深いものです。
砂糖産業が盛んになっていなかったら、今のハワイはなかったかも。
善かれ悪しかれ砂糖産業はハワイの社会に大きな影響をもたらせたもので、
その時代に終止符が打たれたということに、なんだか胸が詰まる様な気がします。
たくさんの涙が絡むサトウキビ時代。ハワイ王国が消えたり、
多くのハワイアンが耕す土地を失ってしまったり。。。
地元の人たちを苦しめただけでなく、
外国から集められた労働者も奴隷の様に扱われました。
たくさんの人が病気になったり最悪、亡くなることもありました。
安月給だったため帰国の夢が叶わなかった人も多く出ました。
でも、人って強いものですね。
どんなに最悪な状況であっても、
意志さえあれば「生きる道」を見いだすことが出来るのです。
労働者たちの中から楽しく生きる術「新しい文化」が産まれたのです!
写真 / シェイブアイスもサトウキビ畑の労働者が持ってきたもの
その代表は ハワイならではの「食」
様々な国の人がそれぞれの国の味をハワイに持ち込みました。
それが、いつのまにか、混じりあい、「ハワイ独特の食」へと変わっていきました。
写真 / 日本の皆様からにも愛されているスパムむすび)
きっと皆さんもご存知かと思いますが、スパムむすびや
醤油のかけられたポルトガルのソーセージやマカロニサラダ
ポークカツの上にグレービーソースがけなどなど
まさにサトウキビ時代の産物なのです!
ハワイならでの呼び名を付けられた食べ物の名前も多々あります。
例えば「マナプア」
言ってみれば日本の肉まんです。
元来、中国の食べ物で、Cha siu baoと呼ばれます。
写真 / セブンイレブンで売られているマナプア
なぜハワイではマナプアと呼ばれるかと言うと、
(日本の人がわかる様に訳すと)「おいしい肉まんじゅうだ」というハワイ語 mea ono
pua’a が、
そのまま名前になってしまった。
mea ono pua’a だと長過ぎるから、それが略されてmanapua(マナプア)というわけです。
他にも砂糖産業の結果産まれた文化は、新しい言葉。
もちろん英語ベースですが、ピジンと呼ばれるシンプルな英語です。
例えば、人に助けを求める時、英語では、「Can you do it? 」キャン ナッ ドゥーイッ?
出来る?? と言いますよね。それをピジンにすると、「no can?」出来ないの?ノー
キャン? となります。
シンプルですよね。英語が苦手な外国人どおしがコミュニケーションとれる様にと出来た
言い方ですから:)
相手が出来ないというと、聞いた方は、「no can、no can」ノーキャン、ノーキャン と
答えるのが常。
出来なきゃ出来ないでいいよ。あははは! と相手に決してプレッシャーを掛けないの
が、ピジンの使い方です。
最後のあはははは!というも大切なピジンのソリューションです。(笑)
最後にハワイのローカルたちが挨拶的に使う「シャカ」
(指を三本まげて親指と小指を突き出して振る動作)
実は、それも、砂糖産業の産物なのです。
サトウキビの収穫をする時に、大きなナタを使いシャカシャカとサトウキビを倒していき
ますが、
労働がキツく病気の時も出勤しなくてはならなかった状況で、事故も多かった。
指を切り落としてしまった人もたくさんいたそうです。
あるプランテーションでは、真ん中の指を三本落してしまった人が、
手を降る姿がとても明るく素敵で印象に残るものだった。
だからそれがいつのまにか「ハワイの挨拶」(親指と小指を立てて手を振る)となったの
です。
写真 / シャカはハワイアンの象徴!
こうしてキツイ労働の中でも明るく生きようという労働者たち。
きっと彼らを支えたのはやはり「家族を守ろう」という思い。
「流れゆく川はいつも澄み切っていなければならない」というのが古来ハワイの人たちの
教えです。それをハワイの地にいて感じたいのかもしれない。当時の労働者たちは、時代
の流れで変わってゆく状況だけど「涙で時代の川を濁してはいけない」そう思ったのかも
しれない。
こうして(私たちが愛する)「人を気楽にさせる文化」が産まれたのです。
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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