写真 / 今では「フラの先生」と意味を持つ「クム」という言葉。本来は「木の根」という意味なのです。
古代のフラが大きく変わったのは、やはり西洋人の影響です。キャプテンクックが1778年にハワイ諸島に到着した時点から、古代の形は崩れていきました。
一瞬、悲しまれる人もいるのでは?いいえ、実は悲しいことではないのです。時代の変化と共に、古いものが新しいものへ変わる。一瞬足りとも同じ姿はありえない。それを受け入れて生きる。変わるということは悲しいことではないのです。ただ過去のものも同等に背中に背負って生きる。それがハワイアンマインド。こちらの話は別の機会に述べるとして、話がズレすぎない前に、本題に入ります。
西洋人が入って来て先生という存在がいないフラハラウに納得がいかず、「クム(木の根っこ)」という言葉を先生という意味にあてがえ、フラの先生とした。。。その話は前回のブログで述べました。が、その様に、「書くから残る」という文化で生きる西洋人社会の時代に入ると、早速フラは記述として残されるようになりました。
フラのチャントに着目した西洋人はまずはアポという2時間ないし3時間ぶっ続けで語られるお経のような語りを記述に残しました。血筋を語る中、その時々にあった出来事。要するに歴史書が言葉で語られるアポ。それが時代を超えて、しっかり口頭のみで伝えられて来たというのを聞くと、字の習得はメインランドの人間よりも早かったというハワイアンの頭脳のよさを示された歴史の事実も、納得いきますよね。メレというのはアポの短い版で、儀式のときなどに使われるチャント(お経のような語り)。
記述を残したのは、Nathaniel Emerson 。エマーソン氏は西洋の波と共にやって来た宣教師の息子。奇しくも彼の父親はネイティブが踊るフラを阻止した人間でした。が、彼は父親とは正反対の方向に進み、ネイティブと濃く関わり心を許してもらった結果、多くのフラ関係の記述を世に残しました。
写真 /(1909年に出版された彼の著書”Unwritten Litterature of Hawaii; Yje sacred Songs of the Hula” は、現在Google e-book で無料で読めます)
「フラは宗教的でもあり、文化的でもあり、音楽的でもあり、パントマイムの語りでもあり、魅力的なダンスでもある。何より人間のマインドをクリアにしてくれる癒しの道具に格好のものだ。」エマーソン氏が残した言葉です。ダンサーの貴方なら意味、よーくわかりますよね:)
そして時は流れ1923年。イエール大学出身のHelen Roberts。ヘレンは、古代ハワイの文化がこのままでは消えて無くなる危機を感じ、ハワイ語の通訳のトム·マウヌパウ、ケニースと組み、700以上のメレ(オリ)を書き残しました。
英語圏の人の耳にあうように訳されたわけですが、それを懸念してか、徹底的に古代フラを守る人の中には、フラは書き残してはならぬものとし、彼らの手には情報は行き渡らないで終わり、今、現在の時点で、明らかになるフラ/ハワイの歴史も少なくはないのです。
同じく20世紀の人、ハワイアンのTutu Kawena 。彼女の功績があり、古代のスタイルのフラが今現在も残されていると言われてます。
古代のフラ。。そこには様々なタブーがある厳しい世界です。フラハラウに入門するということは、出家すると同等の意味を持ち、結婚はもちろん彼氏を持つこと、性行為も禁止。心を奪われてはフラに没頭できないし、逆にフラに没頭することで、家庭が崩れてしまうことを恐れて「独身でいること」という掟があったのです。そして、サトウキビ時代。サトウキビは筋が喉につまり、声が出なくなるからと、食べることを禁止されました。男の人のフラでは、体毛を剃り、油をつけること。戦士のフラでは油をつけると相手に掴まれないですむ。毛を剃る意味は、毛がなければ骨までマナ(パワー)が染み込むと言われていたからです。今はここまで厳しくないのでしょうが、ある程度の厳しさがあってこそ、古代のフラは守られるという意見もあります。
過去のこの様な人たちのお陰で、今の私たちがフラを楽しめているのです。
次回はこの続き。近代に古代をつないだ人の話をします。
記事: エミコ•コーヘン
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