CULTURE

31年続くワイメアビックウエイブコンテストが消滅?!

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「エディーは今年やらないらしいよ!」つい最近のことです。ハワイに住む多くの人たちがこの言葉を聞いてショックを受けましたのは。「なぜ無くなるの?それがなぜショックな話なの?」その理由を今日は、サーフィンがわからない人にもわかる様に、説明させていただきます:)

まずはそのエディーが行なわれる《ノースショアという場所がいかに特別なところか》というところから。。。日本の冷え込みが本格的になるころ、ハワイでは北よりの海岸に大波が入る様になります。特に有名なのは、オアフ島のノースショア。日本の太平洋沖を北上してゆく低気圧が通った約一週間後に、ノースショアに大波が入ってきます。

「なぜノースショアに大波が?」海底地図を見ると理解出来ます。日本からノースショアまで海底の凹凸が少ししかないのです。だから日本近辺を抜けた低気圧が作るウネリが、日本からノースショアまで全く邪魔されずに入ってくる。パワーを崩されることなく長い旅の間エネルギーを蓄え続けて入ってくるウネリだから、ノースショアの岸近くの珊瑚の棚にぶつかった時には、ものすごいパワーになる。パワーだけでなく、高さもです。

大波がやってきた時は、流れがものすごく強くなるので、場所によっては命取りになる場合もあります。そんな状況でも、数カ所、サーフィンに適した波を作る場所がある。その一つがワイメアベイです。大波があがる日には、朝からビックウエイバーたちがどこからともなく現れ、スリリングなセッションが行なわれます。

そんな貴重なワイメアで、31年前から、世界中の人を楽しませてくれるイベントが行なわれてきました。11月~2月の4ヶ月の間に、20フィートの大波が一日中続く日に、世界各国の大波乗り男たちを集めてのサーフィンコンテストが行なわれる。エディーアイカウメモリアルコンテストと呼ばれるものです。その大会が行なわれたのは、31年の間にたったの9回だけ。なにせ条件が整わなければ、選手を世界から集めて会場の準備が出来ていたとしても、その日の朝にキャンセルするということも過去に何度かあった。言い換えてみると、お金中心で動くのがあたり前な現在のサーフシーンの中で、もっともスピリチャルな(本物の)サーフィンコンテストということなのです。

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ところが、そのコンテスト、「今年は出来ない」と。理由は、スポンサーとなるアパレルブランドのクイックシルバーとエディーアイカウ氏の遺族の方々の意向が合わなかったから。イベントを一緒に続行させるのは無理だという事になったそうです。それでもエディーアイカウ氏の遺族の方々は続行したいとの意向を示し、多くの人が賛同しているものの、州からワイメアベイのイベント許可をもらっているのは、クイックシルバーの方で、許可の保持者を変えたり、金銭面を工面したりの諸々の作業を進めるのに、時間が足りないということなのです。

さて何故この大きな大会に、エディーアイカウさんの名前が付いているのでしょうか?そこにはハワイの深い歴史が隠れています。まずはホクレイア号の話しから。

今のハワイアンと呼ばれる人たちの先祖がハワイに定住したのは、9世紀以降のことです。移住をしてきたそのハワイアンの祖先は、その9世紀までは、太平洋の島を転転と渡り、暮らしていました。もちろん今の様に、ハイテクな航海技術だけでなく、コンパスですらなかった時代です。何を頼りに航海していたかというと、太陽や月や星の位置。鳥の動きなどの自然の変化。それを敏感に察知していた上に、4万4千もの神様を見方につけた精神性で、航海を可能にしていたのです。

ところが、1778年にキャプテンクックがハワイの島々を発見し、西洋の目でハワイとハワイアンたちが語られる様になると、それまで島で暮らしていたハワイアンたちは「文字も掛けない低能な人間たち」とレッテルを張られてしまったのです。後にくわしい話を記述しますが、スピリチャルに満ちていたハワイは、外来者のせいで、誇りを失いました。「ハワイアンっていうと低能だと見られてしまうから、決して自分がハワイアンだということを他人に言ってはいけないよ」と、現在80歳になるお婆さんが子供の頃に言われ続けてきたといえば、ハワイアンの立場がどんな物であったかが理解していただける事でしょう。

その状況が一転したのは、ちょうどベトナム戦争が終わりになる頃。多くのアメリカの若者たちが政府の駒となり、他国の地で死んでゆく状況で、「自分のたちのアイデンティティーを誇りに思い行きてゆこう!」という、市民運動が各地で行なわれる様になりました。で、ハワイもしかり。「ハワイアンは無知だ」と西洋人から付けられたレッテルを剥がすには、古来に発揮していた自分たち(ハワイアン)のパワーを見せつけることだということで、1976年にホクレイア号が再建され、昔ながらの航海が始まり、今でも続けられているのです。

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写真;ホクレア号がワイメアベイに寄港した時の写真

エディー•アイカウ氏は、そのホクレイア号の乗り組み員でした。1978年の3月16日。夕日が沈む時間、エディーを乗せた船は、マジックアイランドを出航。ケアライカヒキチャンネルを通り、タヒチに向いました。ところが、その夜、15フィートの波がハワイに押し寄せ、船は揺らされ海水が溜まり、止まってしまいました。そこでエディー氏は、「迎えを呼びに行く!」と、真夜中の海に飛び込み、暗闇に吸い込まれる様にパドルしだした。それが、残念なことに、彼の最後となってしまいました。

きっとそれが乗り組み員というだけだったら、世界が注目する様なサーフィンイベントを追悼として行なわれることなんかなかったはず。実は彼こそワイメアのビックウエイバーのレジェント。しかも、ワイメアベイ初のライフガードで、多くの人の命を助けた人物。31歳という若さでなくなったヒーローは、全ハワイアンたちの誇り。メモリアルコンテストが行なわれることは、エディー氏や家族だけのものではなく、ハワイアンたちの為にも無くてはならないもの。ハワイアンだけでなくハワイアンでない人たちも、このイベントは貴重なもので、再会に向けての運動が行なわれています。

次回の記事では、エディー•アイカウ氏がいかに「ハワイの歴史を背負う人間」だったかというところに焦点を当ててみたいと思います。

記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI

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