写真 / ワイメアの大波に乗るビックウエイバー
今やノースショアのワイメアといえば、大波コンテストが行なわれることで、有名な場所です。沖では大波が割れインサイドではショアブレイクが割れる波。そのワイメアの大波をみる為に観光客を含めて島中の人が集まるため、ひどい渋滞を巻き起こす素。社会問題をも起こすほど、ワイメアの波が多くの人の心を魅了するもの。ですが、その波は、歴史的な出来事があったからこそ、出来上がったもの。その話しを含め、今日はあまり知られていない『ワイメアベイの魅力を作ったワイメアの歴史』話しを皆様にさせていただきます。
まずは名前の由来からお話します。ハワイをよく知る方はすでにご存知かと思いますが、それぞれの言葉には、3つの意味が隠れている。一つ目は、率直でシンプルな意味マハロはありがとうの様な、そして2つ目は詩的な意味、3つ目は言葉の真髄を説いたもの。日本語もそうですよね。例えば山頂といっても、山の上の方という意味以外に、精神を高めるとか、目標を目指す時に、山頂という言葉を利用することができる。その様なかんじです。
話しがこれ以上それてしまわないうちに本題に戻ります(笑)。
まずは名前の由来。ワイメアのワイWai(ヴァイ)というのは、水という意味。ハワイのあちらこちらにワイという名前が地名になっていますが、水が豊富にあった土地にWai(ヴァイ)が付いています。ワイメアのワイも水という意味。そして、ワイメアになるとradish brown water 赤土色の水。で、言葉の真髄で解いてみると、ワイメアは『聖なる水』という意味になるのです。その川(聖なる水)が流れ込んでいたのがワイメアベイなのです。
写真 / 238年前、この湾にオアフ島はじめての白人がやってきた!
そのワイメアベイに初めて白人がやってきたのは、1779年のことです。ハワイの歴史に詳しい方は、この年号を読んだ時点で、気づかれたことでしょう。そうです。キャプテンクックがハワイ諸島を発見した年の一年後なのです。オアフ島に来た初めての白人となった彼らは、実はそのキャプテンクックの一行。クックの3回目のハワイ到来の時に、ハワイ島のケアラケクアベイで地元の人たちに殺害されてしまい、キャプテンクックの下部たちは、(もちろん)ハワイに居残るという選択はせず、自分たちの国(ヨーロッパ)に戻っていくことにしたのです。帰りの船旅をするにあたって、水と食料が必要になった。そこで、オアフ島に寄港することにしたのです。それが、ノースショアのワイメアベイだったのです!
字を書くことが定着していたヨーロッパ人のクック一行は、その時の様子をこんな風に書き残しています。『なんて奇麗なところなんだワイメアバリーは。谷の谷の間に人が住んでいて、人が住んでいる裏の坂も穏やかで。こんな奇麗なところを見たことがない。』
(一行はクックの死、ハワイ島での反乱のショックから立ち直っていたのでしょうか?それとも、その反乱の後だったからこそ、ここでの平和を心から喜んでいたのでしょうか?どちらにしても『ワイメアベイ周囲の平和に心を振るわせた』ということが、残された記述から伝わってきます)
皮肉なことに、そのキャプテンクックの影響で、カメハメハ大王が西洋の武器を手に入れ、ハワイ諸島を統一し、カメハメハの未亡人(カアフマヌ)が引き金となり、どんどんハワイは西洋化されました。そして、時は1928年。当時の政治家が人口の川(露イカネル)を作り、ワイキキの沼地の上にホテルが立ち並ぶようになりました。ワイキキが観光地化された後の1950年。ワイキキの海を観光客が楽しめると、政府は『ワイメアの砂をゴッソリ、ワイキキへ』と、移動させたのです!
写真 ワイメアベイのジャンプロック 地元の子供たちが肝を試しに飛び込むところ
その砂の量を説明するなら、ジャンプロックを考えるとわかりやすい。湾を道路から観て、左の方にある大きな岩。今や地元の若者たちでなく、観光客の人たちも、肝試しがわりにその岩から飛び込むほど、大きな岩。あの岩、砂が持っていかれる前は、ほんの2メートル程度の高さしかないテーブル程度の岩だったといえば、どれだけたくさんの砂だったのかがおわかりになることと思います。(持っていかれた砂の量は20万トンと記録に残っています)
こういう経緯で、ワイメアベイの地形が変わってしまったわけですが、その御陰で大波がサーフィンに適する形に割れる様になったということなんですね!そして、前回紹介したチャージに繋がっていくわけです。
写真 サリーウィークスが描いたワイメアベイの絵
人が集まり、多くの人が絵でこのワイメアベイで現す様になると、必ず描かれているのが、教会。あの教会のベルの塔は1924年に建てられたもの。でも、元々教会ではなかったんです。カメハメハ道路を作る会社がププケアからカフクまでの道を作るために、あそこでグラベルとクラッシュしていたのですが、そこに当時はやりだった(アロハタワーの様な)あの様な細長く空に聳え立る様な建物を建てたんです。その後、その開発会社はその場を手放し、教会の建てる場所を探していたカソリック経が、その土地を買い、コンクリートのその細長い建物は、教会のベルの塔にと変化したのです。
こうして今のワイメアベイのイメージが定着しました。こうしてワイメアベイだけをとっても、やはり昔と今は繋がっているということを感じますよね:)
それではまた次回まで。
アローハ!
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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