写真 / 現在、建設中の電車線路
オアフ島の近い将来、電車が開通になります。現在急ピッチ(?)で、建設中です。実はこれ、島の人間にとって、あまり嬉しいニュースではありません。西から東の外れまでに引かれる電車なんてほとんど利用する機会もないのに、建設するのに莫大なお金がかかってしまうのです。さらに予算をすでにオーバーしてしまった為、税金をあげて赤字を埋めることになってしまったのです!
パラダイスなのに現実的な話しをして申し訳けないので、『電車に纏わる話』の方向をポジティブな方へと変えますね:)
ハワイ電車の歴史話しへと移行します。
ハワイに初めて電車がやってきたのは1881年のことです。カウアイ島のサトウキビ畑から工場まで収穫したサトウキビを運ぶ目的で作られました。1915年には、カウアイ島中あちこちに電車の線路がしかれることになりました。が、サトウキビ農業が消えてしまった後、電車を走らせる意味がなくなり、結局今は観光客の為に短い距離を走るだけになってしまいました。
ビックアイランド(ハワイ島)で初めて電車が引かれたのは1899年のことでした。33.5マイルの長さのレールが敷かれたのですが、線路の距離に反比例して、会社の経営が危うくなってしまいました。起伏の激しいハワイ島なので、橋やトンネルをたくさん作らなければならなった。結局、予算を大幅にオーバーし、赤字になった会社は、1914年に倒産してしまいました。その後、他の会社があらたに電車を再開し、サトウキビ農業の道具になるだけでなく、第二次世界大戦に軍人や食料を運ぶのに重宝されました。ハマクア海岸を通る電車から見える景色がとても良く、観光客にも利用されていたということです。が、1946年。ハワイにやってきた津波でレールが破壊され、ビックアイランド(ハワイ島)から消えてしまいました。
マウイ島では1890年にパイオニアミルという会社がやはりサトウキビ農業の為に電車を建設しました。電車がなくなった理由は1950年に車社会に変わりトラックでサトウキビが運ばれる様になると、電車が不要になったからです。が、電車はかろうじて走り続けています。1969年からカ•アナパリにパシフィックレイルロードが、観光客を乗せて走る「シュガーケーントレイン(サトウキビ電車)」を始め、今も多くの人の《思い出作りのお手伝い》をしています。
最後に私たちが住むオアフ島。1889年にオアフレールロード&ランドという会社が、やはりサトウキビを運ぶ為に電車を設立し、人や物資も運ぶ様になりました。線路は、島の海外線だけでなく、島の中心ワヒアワにも引かれました。当時、ハワイ中で一番充実した電車システムでした。世界第二次世界大戦の時には他の島以上に軍人の数が多かったオアフ島なので、大活躍をしました。その後、サトウキビの輸送が、電車ではなくトラックに変わると、電車会社の経営は危うくなりました。電車を消した決定的な出来事は、1946年にやってきた津波でした。しかしその後、1974年に軍用目的で11マイルの短い距離を走る電車が復活。それが今でも残っていて、週末だけ走らせる観光電車に変わりました。ちなみに王家の人たちが乗る専用の電車もありました。
電車の足跡に残るハワイの歴史。。。皆様を巻き込んで、私も改めて勉強させていただきました。ちなみに今でもこの線路は残っています。その名の通り線路「トラックス」と呼ばれるサーフィンポイントの目の前には、今でも写真の様なレールがそのまま残っています。是非、次回ハワイにいらした際には触れてみてください。きっとこの文章を読んだ人なら、その古びた線路に触れたとたんに時代はサトウキビ時代にタイムトリップできると思います:)
写真 歴史を感じるウエストサイドに残る古びた線路
写真 ウエストサイドにある線路と呼ばれるサーフィンポイントにて
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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