CULTURE

私たちがフラを踊る理由 vol.9 マーサ·ノーイエス インタビュー

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「私たちがフラを踊る理由」のVol.4からVol.8までをガイドしてくれた女性マーサさん。すごい濃い内容でしたよね。濃い内容だけれども、表し方がとても親切だったんで(もちろん書いた私の自慢ではなく、研究したマーサさんの表し方。この世界には珍しくオープンで、知識は世界の人の為っていう感じで)きっと理解されたことと思いますが、いかがでしょうか?でも、その研究をされたマーサさんとは一体、どんな人なんでしょう?
 

名前はマーサ·ノーイエスさんという(ハワイアンではない)白人の女性でして、ハーバード大学で博士号をいくつかとった学者さん。プラス、ハワイアン天文考古学者であり、ハワイアン映画を作成した監督/プロデューサーでもあり、賞を2度ほどとった作家さんでもあるんです。
 

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写真 / マノアバリーに2匹の愛犬を住むマーサ·ノーイエスさん。地域の人にハワイアンたちにそして世界の人に学んで来た先住民の知識を惜しみなくシェアするマーサさんは『地球人の先生』だ。

     

ここまで聞くと「すごい大先生なんですね~~~」と思ってしまいますよね。けど本人に聞くとあっさりこんな具合です。

「私は何者かって?それって一番困る質問なんですよね(笑)。うーん、一言で言えば、ハウマナ·Haumana(生徒)。一生、学生。だってこの世は膨大。学んでも学んでも学び足りないでしょ。だから自分のできる範囲でベストを尽くす。そして学んだことを、皆にシェアしている。それだけのことですよ。」

多くの才能を持ちながらも、その才能をただただ地元ハワイのために貢献している彼女。『ハワイアンでない』のに!!産まれた時は誰一人変わらぬ赤ん坊。だけどどの様な経緯で今のポジションについたのか。インタビューしてみました。。。。。

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ー惹きつけられるようにハワイへー

1949年。マーサは、カリフォルニア州サンフランシスコの養護施設で生後3ヶ月まで育てられた。ヘルツチェック(健康診断)をクリアした赤子マーサは、養子を探していたノーイエス学者の元に引き取られた。その後、父親の仕事の関係で、イギリス、フランス、テネシーで過ごし、15歳でハワイに移住した。

「ちょうどハワイ大学の医学部がスタートを切ろうとしていて、医学博士の父が医学部の総活役にも招かれたんです。移住してきた後すぐに通ったプナホウ高校の友達の中にハワイアンがいたし、意識はしなかったけど、きっとハワイアンカルチャーは、私の中に眠っていたのでしょう。カルチャーの貴重さを知ったのは意外と遅く、40歳になってからのことです。」

時代は遡り1970年。巷は、ガンジーの独立運動から始まりベトナム戦争、愛と平和を訴える若者たちが増えてきた頃。「アイデンティティーに立ち上ろう」という風は、ハワイにも吹き始めた。それまでのハワイアンたちは、ハワイアンであるがために、学校で虐めを受けたり、職に就けないでいた。その独立運動の風が噴き出すと共に、ハワイアンたちも、フラストレーションを爆発させていた。

「押さえつけられていたアイデンティティーを解放させようという運動が強まっていた時代です。ハワイアンだけでなく、ハワイの精神性に魅せられ文化に精通した人たちが、私に「一緒に学んでくれないか」と、声をかけてきました。もちろん私へだけではないと思いますが。」

ー先住民族の道に踏み込んだ最初の一歩ー

アイデンティティーを復活しようとしていたとしても、ハワイアンの習慣で、気軽に代々の教えを伝えようとしない。話す側、話される側の内にある何かがリンクして初めて知恵の交換が可能になるのだ。言い方を変えれば、話す側、受け取る側の両者の準備が同じ時期にできていなければ、カルチャーのシェアはありえない。マーサの場合は、父親が近代医学の先頭に立つ人。ようするに、西洋の文化に浸かっていた家系である。それなのになぜ、真逆とも言える文化の道を歩みだしたのだろうか。

「父親は言ってみれば『天才』でした。社会ではリーダーシップも取れる人で、多くの人から信頼を受けていました。ところが『二重人格』だったんです。今でこそ『二重人格』は治療が効く「疾患」として認められてますが、その頃は病気と認められてなかった。けれど明らかにその病でした。で、症状が出た時、必ず、私の方に矛先を向けてきたのです。かなりいじめられました。」

家庭内の親から受ける虐めは、第三者が介入しづらい問題だ。しかも子供時代は親が悪いとは思えない。結果、非を自分に向けてしまう。心に傷を抱え、病を持つ子供が実は家庭環境の悪さから来ているというのは、良くあることである。マーサはまさにそんな子供だった。が、ある人との出会いが幸運にも彼女を救った。

「インディアンのおじさんに会ったんです。7歳の時に。きっかけはキャンプ。休みになると近所数件の家族が一緒になり、キャンプに行く習慣があったんですが、ある夏のキャンプで親同士で何かをやる間、私一人、ある年寄りの人に預けられたんです。年寄りだったかどうかは、今考えてみると謎ですけどね。なにせ私は7歳でしたから。7歳の私からしたら35歳以上は皆、年寄りでしたから(笑)。」

彼女が出会ったのはチャマッシュ インディアンの長老、ロベルト モレノ。初対面なのに全く壁がなく、すんなり自然に対応してくれた。初めて彼女は「他に心を開く」という心地よさを知った。

「インディアンのおじさんに会って生まれて始めて「安全」という感覚を知りました。初めてあった時、本当に自然でした。全く壁を感じませんでした。彼が私に教えてくれたのは、とってもシンプルなことです。自然とリンクするということ。木が呼吸をしている、木にも血の循環がある、石が物語を語っている、などの。彼はあまり多くを語りませんでした。自然の産物に触れる時間を一緒に過ごす。それだけです。でも、木や石も私のように生きていて、いつも私を助けてくれるんだと言う感覚は、『安心』と言うものになり、私の中に宿りました。その後、日常の生活に入った後も、一人で、木に触れることは続けました。もちろんクラスで人気の子には見つからないようにね(笑)。」

家の中の問題は子供には解決できない。けれど『安全地帯』を見つけられたことは、まさに彼女の運命を変えるような出来事だった。その後のマーサ、ハワイに移住した後にも、アメリカンインディアンと同じようなコンセプトを持つハワイアンたちに出会う機会に恵まれた。

ーハワイアンに命を救われー

40歳を超えた頃、生まれつき持っていた持病(海面状血管腫)が悪化した。現代の医学では治療は不可能と医者から突き放された。そこでマーサは、1965年からの知り合いの医師、医学部の教授のケクニ·ブレイズデル医師を訪ねた。その医師には手に追えない問題だとされ、彼はマーサに、ハーブヒーリング、スピリチュアル&ハンドヒーリングを施工しているカフナのカルア·カイアフアを紹介した。が、時代はハワイルネッサンスが盛り上がりをみせていた頃。多くのハワイアンたちは、白人を敵対していた時代。当然マーサは躊躇した。が、他に術が見つからず、紹介してもらったカフナを訪ねることにした。

「彼はご家族と共に初対面の私に、アロハをたっぷり与えてくれました。治療は、ロミロミのような手をかける治療、ノニを服用するというハーブ治療、アロハとお祈りのスピリチュアルな治療でした。その3つ治療コンビネーションが効き、症状は徐々に完全してゆきました。

そして、ある日、『弟子になり一緒に学ばないか』と、私に声をかけてきたのです。

《何千年ものハワイアンの貴重な知恵を私が勉強する?》

『ノー。出来ません』

『どうして出来ないのかい?』

『だって私、ハワイアンじゃないんですもの』

『神のいたずらの血筋の違い。それがどうだと言うんだ』

それでもイエスが言えずにいると、次の週にまた同じことを聞いてきました。

『私、お金ないから。受講料を払えませんし。』

『お金を払えといつ言ったかい?』

諦めない態度を示されました。

次の週、今度は私から

『おじさん、神様は私に【書く】ことと【描く】ことの才能をくれました。そして人に教えるという才能まで与えてくれたのです。もうこれで満足です。これ以上の知識を願うなんてそんな贅沢なことは出来ません。きっと神からのバチが当たります』

カフナは逆に声を張り上げこう言ったんです。

『なんてことを!君は君の貴重な命を神の枠にはめてしまうのかい?馬鹿げている!』

頭の中が白くなりました。そして思ったんです。

《この仕事は自分の為のものじゃないんだ。彼は私の才能を世の為に使えと言っているんだ》

やっとそれに気付いた私は『イエス』と答えました。

その後、先生が病気になるまで、私は彼の生徒を務めさせてもらいました。私に気づかせてくれた師匠は、彼。

そしてモエ・ケアレです。』

(アマゾンでそのカフナと進めた勉強をまとめた本が売られています。https://www.amazon.com/s/?ie=UTF8&keywords=martha+noyes&tag=mh0b-20&index=stripbooks&hvadid=1695887470&hvqmt=p&hvbmt=bp&hvdev=c&ref=pd_sl_ygdkt832n_p )

ー苦のエネルギーを善に転換し世に活かすー

宗教戦争、貧富の差、地球温暖化、独裁主義政治、自殺、虐め、開発、ゴミ処理問題、公害、ドラッグ、家庭内、家庭外暴力、精神異常。現在、多くの地球人が苦しんでいる。古来の教えを知る人から言わせると地球はまさにバランスが崩れているという。今だからこそ古代に注目する価値がある。と、言うまでもなく、そこに惹きつけられている人がどんどんと増えている。サバイバルモードの現れなのかもしれない。

「アメリカンインディアン、そしてハワイアンの子孫、ハワイアンでない人たちは、生きる上で最も大切なこと《なぜこの世に送られて来たのか》をしっかり認識しているんです。皆、気づくことができるのです。時間は確かにかかります。土地、空、水の大切さを知ると同時に、祈ること、瞑想することが引き金となります。でも勘違いしないでくださいね。それは信仰でもなければ知識でもないのです。常に《自分の小ささを知り、自分よりも大切なことが世の中にはある》ということを意識すること。どう自分の力を使えば世の中に貢献できるのか。それを見出せばいいのです。自分の苦のエネルギーを善に転換し世に活かすことができれば、本当に楽になります。それが人間の自然な形なのかもしれませんね。」

ー自分を生きながらも自分を忘れるー

現在マーサが手がけるのは、クカニロコ(聖地)のカルチャー伝達。クカニロコの重要性は年々忘れられてゆく。開発が進む中、広大なクカニロコの土地は720分の一に縮小した。しかしクカニロコはハワイアンの息、ハワイアンの歴史、過去、そして未来が結集する場所。哲学と地理と天文学と全体像と宇宙論と学びのすべてが結集する場所。それを誰よりも深く知る彼女は、クカニロコの重要性を文献に残す作業に出た。誰もやれなかった偉業を果たしているマーサだが、その知識は決して自分のものでないと謙遜する。そして学んだものは惜しみなくシェアしてくれる。お金や名誉に絡まなくても。

「ハワイは私のすべてです。ハワイアンの様に考えハワイアンの様に感じ、ハワイアンの様に学び、ハワイアンのように教える。そしてハワイアンの様に人と関わる。近所の人たち、自分の犬、所属するコミニティー、地球人のみんなのことを、いつも気にして生きています。でも人だけでありません。土地、空、海、風、雨、霧の意味を常に理解して生きているのです。それは私にとって、本当はみんなにとっても、とてもとても意味のあること。すみません、うまく言葉には表すことができないけど、、と言うか、言葉に出しているということは、ハワイアンではない証拠だし、ハワイアンにはなりきれないという証なんですよね(微笑)」

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貴重なお話でしたよね。シンプルだけど大事なこと。そしてなぜか懐かしい思いがする彼女の言葉でした。マーサさんの心情は、まさにフラを踊る人たちと同じ。命の大切さ、生きることの喜び、自然の美しさを、「自分の出来る範囲で表現してゆく」。ただ踊る代わりに文字にしているのです。

彼女もあなたも、そして私もハウマナ·Haumana。

未来の地球の子供たちの為に。

ではまた次回まで。

アロハ!
  

記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
Facebook https://www.facebook.com/alohaemiko
You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI


 
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