CULTURE

古来ハワイに学ぶスピリチュアルの意味

ブログ146−1

「スピ系」

そんな言葉が日本にあるってことを聞きました(笑)

「わたしはスピ系だから、いろんなことがわかるんです」って言う方も現れているとかで。。。(笑)

そんな人が近くにいたとする。もし自分が苦境の中にさまよっていたらきっと神をも掴むつもりで、「お金をたくさん積んででも」その人にすがりに行きたくなるものですよね。苦境にハマってると、いろんなことをしたくなりますから。聖地巡りをしてみたり、神社に通い詰めてみたり、それで良い方向に行くと、「あ~あの聖地は効いた」とか「神社は効いた」とかなるんですよね、大抵。全然、悪いことではないです。聖地や神社、(私の場合はパイプラインの沖の波)気づきを与えてくれる場所はまさにスピリチュアル世界のドアとなる場所だと私自身も思ってますから。

でもそういうパターンの落とし穴は、そのそれぞれのやり方に逆らうとバチが当たるとか考える様になると、自分で勝手に変なことも想像しだす。だか間違った形で、見えないものを信じ出すと、縛られてゆくことになる。すると当然それが、ストレスになり、自分も苦しくなるばかりでなく、周囲の人も苦しめることになるんですよ。

ハワイ系もそうですよね、フラを始めると、確かにいろんな気づきがあるんですけど(ブログでも書きましたが、今まで気がつかなったことに気づく)。。。旦那さんだけが置き去りになった気持ちになるから、「なに変なものにハマってんだ~!」とフラを楽しむ奥さんは怒鳴られる。

たくさんの方がこれで家庭が壊れたとか聞きました。

「考え方が違うから」

そういう理由で別れたりそれまで親しかった人を突き放そうとしても、同じ時を一緒に過ごした人と別れるのは、体が同じ空間を長いこと分け合った。だから、自分を切り離すと同じ。大変なことなんです。かなりな覚悟は必要になりますよ。できれば一緒に居られる術を「自分」で見出した方がいいと、わたしは思います。それに、合わない人と暮らすということは、自分の成長になりますし(笑)

あれ、、、話がかなりそれましたね。。。もとい。。。スピリチュアルだって言われていることが、生活を苦しめてる現状にあるっていうのは確かです。

だとしたら、、、

これって「スピリチュアル」と言えるんでしょうか?

私は違うと思うんです。

ハワイとインドの古来の話を持ち出し、説明してみたいと思います。どちらの国の古来の思考は、フラやヨガなどを通して人気になり、世界の多くの人たちがすがる様に、先住民族の血を引く人たちの教えをこう時代になっています。が、伝えられ方が西洋式の短略的過ぎて、間違った方向に行っているそうです。それがハワイにもインドにも逆輸入して広まっているとか。。(この話は別の機会に)

ここハワイには、ミネフネと呼ばれた先住民族がいました。実在の人物で妖精ではありません。彼らはとてもスピリチュアルな人たちで、鳥と空を飛べるとか、サメと泳げるとか、今でいう人間の能力を超えた人たちでした。そんなことはなかったと思いますが、戦争をせずに千年以上も自給自足で暮らしていたのは事実と言われていますので、それだけでもスーパーパワーを持ち合わせていたと言えますよね。結局、後に島にやってきた他の島の人たち(タヒチまたはサモア)が、その穏やかなのに力がある先住民族の彼らが、怖くなり、腕力で山に追いやり島を占領してしまったそうです。その時にミネフネとあだ名がつけられ妖精かさせ、政府のオーダーで、フィッシュポンドやヘイアウを強制的に一晩で作らせていたそうです。

その人たちの血族は未だにいて(幸いなことに、私自身が一対一で何度かお会いしました)その人たちがそのスーパーパワーを保つための最大の鍵になる言葉が、カーナ二アウ と言う言葉です。その言葉の意味を簡単に言うならば「古きを訪ね新しきを知る」その上で、それぞれの人たちが最高の力を出しあい「時代にあった」良い世の中を作ってゆき、次世代にわたしていこうと言うことなのです。

で、、、

この古いものと「新しいもの」とブレンドして行くってところが「非常に大事」なんだと私は理解しています。

古いものは古いままで教えにすると間違った方向に行くという例をあげます。

代表的なのは宗教や信仰。

宗教とかもそうですが、(宗教家の方、怒らせたらごめんなさい)最初に始めた人は、素晴らしい人たちですよね。イエスキリストや悟りを開いたお釈迦様は、貧しい人や病に苦しんでる人をたくさん助けたのですから。もっと遡るなら、神様、神様自体も宇宙を作られた素晴らしい仕事をされた。

でも、それが次世代に知恵が渡された時から、過剰にその方を飾ってしまう。「その時代に100パーセント生きてた素晴らしい人」に感謝するだけならいいんですよね、でも、過剰にうまやうように後に生きる生徒たちが作り上げてしまってる。そういう形の信仰は、伝えられた人の中で「こだわり」に変わる。そうなると理解してくれない人を敵対する。敵対しないにしても「あの人は理解してくれないから好きじゃない」などと親や旦那さん、子どもまでも邪魔に思えてしまう。核心に触れてきたでしょ。まんざら嘘ではない。信仰に限らず、「何かにこだわり」は、それが他人との壁を作る素材になっているんです。

壁を作るのは自分を守ることに繋がるかもしれません。けれど、壁を作ったことで、「自分が」小さい敷地の中に閉じ込められてしまっている。そういう状況を自分自身で作り上げてしまっているんです。

自分は日本人だとか、仏教徒だとか、フラダンサーだとか、ハワイアン信仰の信者だとか、高齢者だとか、サラリーマンだとか、エリートだとか、、、そういった意識が壁になり、その中に自分は閉じ込められているんです!!

しかし、考えてみればその壁が作られた素材は、学校の勉強だとか、先ほど言った様な先人が作りあげた話だったり、聖書だったり、要するに、実際の生活で自分が見出したものでない。いわゆる盗作の偽物ですから、弱い。だったら今崩しましょうよ。

本当にそこを大事に生きている人たちは、人間という壁をも崩せる人たちだと言います。そうなるとまんざらサメと泳げたという話は嘘ではない様な気がしてきます。(鳥と空を飛べたはどうしても理解できないのですが)

ここまでの話をまとめますと、古いものは知る価値があるが、ハウツーではない、ということです。誰かに教えてもらったことを、自分自身で見て聞いて感じられた時に本物になる。アンティーマーサや、マヌ博士の説明にもありましたが、イケ。この言葉は教育という言葉だけでなく、観察する、という意味を持っていますが、そういうことなのです。

だからカーナ二アウ。壁を作らないスーパーパワーを持ち合わせたミネフネたちは、常に自分の「今」をとことん広げることができたんでしょう。そういうことがスピリチュアルということなのです。

スピリチュアルとは、自分の中に自分を住まわせる、でも、壁を作らず精神的な部分を限りなく広げて行く、ということなのです。(私はまだまだですが、、)

別の話を持ち出し、理解を深めて行きましょう。

地球の温暖化の影響でしょうか、アフリカのある地区では、水が全く降らなくなってしまったそうです。地元の人の多くは昔の考え方に「縛られて」そこでお祈りをしたり、捧げ物をしたり、そんなことをして雨を待つ。そのうちに畑は干からび、老人や赤子の弱いものから死んでゆく。そのカラクリに気がついた人が、地元の信仰を捨て、アメリカに渡り、テッドトークで話していました。信仰に「縛られる」ことの危険性を。信仰を捨てるときには皆にバチが当たると散々脅かされたと言うことも付け加えてましたね。

暮らしに生きなかったスピ系もそう言うことなんですよ。暮らしに生きないものは、スピリチュアルとは言えないと思うんです。実はハワイアンの中でもそうです。コンクリートな伝説であってはならない。だから伝説を読んでみると(日本のもそうですが)何を言ってるのか、わかりにくい。暮らしの節々で、「あ~あの話はこう言うことを言ってるのか」と「自分で」気づくようになるんです。

じゃあ、スピリチュアルは悪いものなの?

おっと後戻りしてしまいましたね(笑)間違ったスピリチュアルは危険だという話をしたのです。

では理解をさらに深めるために、スピリチュアルでないと、どうなるかの例をお話しします。

先日、超有名な科学者たちが集まって、未来のことを話し合っている動画に出くわしました。

内容は、テクノロジーが人間たちに有効になるのか、有効にならないとしたらどうしたらいいのか、という話でした。

これから伸びて行くテクノロジーは何かという話になると、皆が口を揃えて「ロボット」と。その手始めとして、すぐにインターネット上でも感情が送れるようになるというのです。そして、ロボット自身もいつしか人間のオーダーなしに自ら動くことになるだろう、と。

そして話は、その時に起こり得る副作用についてでした。

ロボットが自身の意思で動く様になる???と言うことは、あの俳優ウィルスミスが主役だった「i, ROBOT」の様な状況になり、機械が人を殺す時代が出てくる。あるロボットもそうだが、遺伝子で昔の動物を作ることも(ジュラシックパーク??!)、腐った考えを持った人に技術が渡れば、大変なことになる。テクノロジーを発展させると同時に、世界全体を一つにまとめる教育が必要だというある科学者の意見が出た時に、それまで黙っていたゲスト、南インドから来た古代を知るヨギが口を開きました。

「テクノロジーが人を殺す時代はもう始まってますよ。何人の人が車に殺されたでしょうか?何人の人がミサイルに殺されたでしょうか?我々はすでに核という恐ろしい武器を作ってしまったんですよ。一人の意思で地球を破壊できるまで来てしまってるんです。そうなるとロボットに追いつくために頑張る教育は、地球人の未来に役立つのでしょうか?」

「今の子供たちが教育されてることのほとんどが、グーグルで検索できることばかりです。スマホと言うけど、スマートフォンの方が人間よりスマート(意味は頭が良い)になっている。ロボットがを上回るわけはない。というより、もうすでにロボットに人は追い越されてるんですよ。ロボットに追いつくために知識を詰め込もうとする学校教育は必要あるかってことを考えてみてほしいんです。」

「確かに私たち人間は、年々、ロボット的な頭は非常に良くなっている。でも、その頭の知識は、ただ競争に勝つためのナイフに過ぎないんです。キレが良い様に研ぐ。例えば花がここにあるとしたら、科学者は、その花を解剖して、データを残し、レポートにする。花のことは全て調べられたかもしれないが、その後に花は残っていないんです。バラバラにされてしまうんだから。そんな人間が増えたら。。。自分のお母さんのことが知りたいなら、あなたはお母さんを解剖しますか??しないでしょ。全てを知りたいと解剖してしまうのが、今の教育なのです。」

「今の人間の思考を花に例えるのなら、切り花です。根の付いてない花なんです。花が綺麗だから皆喜ぶが、根がないからいつかは枯れますよね。種は土と太陽の光で芽を出し、木になる。命の大切さを伝える種から木の方が、切り花よりもよっぽど美しいことを教える様な教育を、私たちは目指すべきなんだと思いませんか?」

「私は、テクノロジーが悪いものだと言っているのではありません。テクノロジーがここまで来た時代、実際、人間はとても楽になりました。狩に行ったり水を組みに行かなくても良い時代になったんですから。余った時間がある今だからこそ、人間性を追求できるのです!!」

このヨギの話に会場のギャラリーは、大拍手で感謝を表しました。

科学者たちの話を聞いていると苦しくなります。きっとみんなそうだったと思います。よっぽど希望を強くもてる人じゃない限り「どうぜ地球なんて滅びる道を辿ってるんだから、今生きてる間に楽しくやろうよ、そんなの忘れて」となりますが、またふとした時に未来の不安が戻ってくるもの。でも、ヨギの話は、現実を見据えた上で、誰しもが出来そうな解決策で、なぜか心が温まるんです。

これがダメならあの政策、これがダメなら次の政策、作戦を塗り替え塗り替えすることに力を注ぐよりも、または政府がとか、誰かが、状況をよくしてくれることを待っているよりも、「一人一人が、意識の世界を広げる」それさえ出来れば、全てがポジティブに動く様に思えてきます。

科学者の意見とヨギの意見。この中にスピリチュアルとスピリチュアルでない違いを理解していただけたと思います。

最後に、、、

今から意識できるスピリチュアルとは、と言うところを突いてみたいと思います。

人には、2つの記憶があります。

一つは先に述べた様な、先人が用意した教科書から学んだ記憶。そして、自分の生活で起きた出来事の記憶。(出来事からの記憶には大抵悪いことが多い。。。とほほ)

もう一つは、生物的な体の中の記憶(よく遺伝子の記憶などと表現されていますよね)

今の私たちは、頭での記憶しか頼りにしてません。(こうして私が話してるのも頭で習ったことを私がリサイクルしてるだけです)。でも、体の記憶ってものがあるから私たちは生きているんです。例えばバナナ。バナナを猿と一緒に食べたとします。同じバナナを食べたのに、人間が食べるとバナナは消化された後、人間の体になります。しかし、猿がバナナを食べると、人間になるでしょうか? なりませんよね。バナナは猿の体に変化してゆきます。何を食べてもそうです。体という成功な機械が、いくら悪い食べ物を食べても、体を作ってくれるんです。猿や鳥や豚にならずに人間としての体を作ってくれるんです。素晴らしい記憶が自分たちに備わっている。また親に捨てられた子供でも「僕には親がいないんです」と頭で理解した言葉はでても、しっかり体には、親やおじいさん、そのまたおじさん、おばあさん、そのまたおじいいいいいいさん、おばあああああさんが入っている。だから自分が出来ている。

私たちは最初の記憶だけに縛られているから、幸せ感が薄いのだと思いませんか? 今日は幸せだけど、次の日はブルー。それは浅い記憶の中だけで生きているから。そう思いませんか?

二つ目の体に染みついている記憶にもし私たちが意識することができたら、水を飲んでも嬉しいし、空気を吸っても嬉しい。食べ物を見たら「あ~これ、自分の体になる自分なんだわ」と思えてくる。周囲のものが自分に思えてくる。あるいは、自分が消えてゆく。しまいには、自分の体を作る食べ物を作ってくれる太陽が、お父さんだと思えてくる。

これがスピリチュアルなのです。

決して教えるもの、教えられるもの、ではない。ましてお金儲けの道具でもない。喧嘩の理由にもならないものなのです。

で、、恵美子さんはスピリチュアルなの??

いえいえ、、まだまだ、ぜんぜん。未だに修行中です(苦笑)

それではまた次回まで

アロハ

記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
Facebook https://www.facebook.com/alohaemiko
You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI

HLC_banner
HawaiiLoveSelect_banner

関連記事

  1. ブログ46−2 私たちがフラを踊る理由
  2. fs0a1951 サーファーの聖地『ノースショア』の伝説
  3. _y7b8487-2-copy サーフコンテストは季節を知らせるバロメーター
  4. Capture 2017-11-07 21.41.42 私たちがフラを踊る理由 vol.4「古来のアロハが伝わった瞬間」…
  5. Tony-Waimea- 【世界の人を魅了する波】の裏には(ワイメアベイの歴史)
  6. ブログ62−3_Easy-Resize.com ラウハラ・人の出会いを「編む」
  7. cc955eda960c7643f6ecc48d3b626b29_m 可能性を広げる「英語の勉強」のすすめ
  8. ブログ149Mauna-Kea ハワイの聖地 #1「マウナケア」

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。
PAGE TOP