ノースショアの大波をやりだした人たち
「ノースショアのビックウエイバー第一人者」たちのほとんどは、実はハワイアンではなく、「カリフォルニア」の人ばかりなのです。
《ハワイの大波を極めるのが、なぜハワイアンではないのか?》
実はそこに社会運動が隠れているのです。
冷戦
この戦争は、みなさんの記憶にも残っているのではないでしょうか?
ソビエトとアメリカの戦い。資本主義と共産主義と戦い。
その冷戦の舞台になったと言われているベトナム戦争が絡んでいるのです。
ベトナム戦争がエスカレートしたのが1970年前後。ソ連とアメリカのある意味、
意地の張り合い的な戦争に、多くの若者が徴兵制で戦場へと駆り出されたのです。
考えてもみてください。それまで親や社会や学校に従い生きてきたのに、
突然、政府から「ベトナムと言う国に行って、戦ってきてください」
と言われ、さらに「もし行かないのなら、牢屋に入れてしまう」と。
実際、何の為に戦うのかもわからず、ただただ法律に従い、
戦場に駆り出された若者たちの多くがベトナムのその土地で他界しました。
そんな状況の中にいたら、誰しも「何を信じて生きたらいいのか」を
考える様になるものです。
いつの日かカリフォルニアでは若者たちが集まり
戦争に反対し、愛と平和を訴える
ヒッピームーブメントが生まれました。
彼らのモットーは
Turn on, tune in, drop out
伝統やしきたりや世間の批評を忘れ、
誰にコントロールされることなく、自分を信じ、自分の思う通りに生きる。
友達が次々とベトナムという水知らぬ土地で死んでゆく。
結果、こんなモットーの元に、本当の自由を手に入れた若者たちは、
サンフランシスコのハイトアーシュブリーに集まり、
「自由で何が悪い!」と言わんばかりに
LSDやマリワナを吸いロックンロールに浸かり、愛と平和を訴えたのです。
ヒッピーたち活動家の本拠地となったハイトアーシュブリーには
溢れんばかりの若者が集まり、混乱しだしました。
それを感じたリーダーはすぐに解散式を行いました。
「本来の姿が消えだした今、ここの運動は終わりとする。
自由を選んだ若者たちよ。これからはそれぞれの土地で、信念を通せ」
サーフィンはまさに彼らの信念とマッチするものでした。
ヒッピーたちの中でサーフィンをする彼らが選んだ移住先は、
オアフ島のノースショアやカウアイ島。
スピリチャルを磨く為に彼らは大波に挑みました。
BETWEEN THE LINES という映画では、
戦場ベトナムで波を見つけ波のりをしたサーファーたちが
いかに「戦うではなく生きることが大切」であるかを語ってくれています。
「サーフィンを選んだ我が行き着いた価値つけられぬ自由の世界」恵美子コーヘン
自分を追い詰める前に「自由という選択があるということ」
忘れてはいけないことなのかもしれませんね。
それではまた次回まで。アローハ!
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI
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