古来のアロハが伝わった瞬間
西洋化したハワイで今現在までフラが継続された理由は、やはりエンターテインの要素を含む華やかなフラに変わらなければならなかったのでしょうか?伝統に忠実なトラディショナルはフラだけではダメだったのでしょうか?
この件は、今でも多くのフラ関係者の疑問として残されていることです。
フラはハワイ王国の時代。リホリホがカメハメハ2世として政治を任されたとき、義理の母のカアフマヌがカプを廃止し、その数年後にキリスト教を受け入れたときに、西洋人が「裸同然で腰を振る淫乱なフラを踊るのは低俗な野蛮人のすることだ」とし、フラを踊ることが法律違反にされました。
それでもオアフ島の長だったボキを始め、フラは「フラはハワイの伝統。皆 踊り続けるのだ」と、フラは各島の勇士により存続しました。
そしてカラカウアの時代。フラがまた公で踊れるようになり、メリーモナークが始まりました。年々スポンサーがつき、ジャッヂの仕方も変わり、どんどん派手な踊りになるフラ。
確かにフラの主流は伝統的なフラからは離れてしまってはいるかもしれない。でも、フラの心は今でも一人一人のダンサーの中に昔から変わらぬ形のともし火となり燃え続けている。そう私は思うのです。そこにはこんな方の功績があるから。。。
写真 Pilahi Paki ピラヒ パキ- Keeper of the secrets of Hawai’i
ピラヒ·パキ。Pilahi Paki 。ハワイの秘密を守る人ーわかりやすい言い方をすれば人間国宝です。ハワイの文化を現代に紹介した人。。といえば簡単な様に聞こえますが、20世紀の前半から中盤にかけてのハワイは西洋化がますます進んだだけではく、ハワイアンであることが卑下されていた時代でした。
が、1970年前後。ガンジーなどの独立運動や、ベトナム戦争をきっかけに、若者たちが、自分のアイデンティティーに立ち上がる様になった頃。ハワイでもハワイアンとしての誇りを取り戻そうというルネッサンスと呼ばれる時代に入るか入らないかのときです。
彼女の行動が、ハワイアンを救ったのです!!フラの大御所と言われる人たちに、今一度 アロハの意味を伝達し、フラのが本当の意味で現代に根を生やすことになった。
ふとしたきっかけでピラヒをドキュメンタリーを作ったマーサ氏の許可が得られ、役不足ではありますが、私が、この動画の翻訳を引き受けることになりました。彼女のアロハがフラを救った瞬間。弟子の言葉、ピラヒ自身の言葉で語られています。
クプナの知恵(イケ)ぜひ、多くの人に広めてください。
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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