CULTURE

ハワイが私たちを暖かく迎えてくれている最大の理由・日系二世たち

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写真 ワイアルアに聳え立つサトウ工業が始動していたころ、この辺りは日本人村として栄えていた
前回のブログで「なぜハワイには日系人が多いのか」を把握していただけたと思います。そこで、今日は、その続きで、日系人が、ハワイに欠かせないハワイネイになった経緯「日系二世の歩み」を書いていきたいと思います。

サトウキビ畑で働く両親の元に生まれた日系2世の畑での生活は、今の私たちから想像も出来ないほど、苦労の連続でした。

朝5時に合図とともに起こされ、両親ともに畑に出るしたくをしている間に、子供たちはストーブに油を入れたり、作られたおにぎりを包んだり、できる限りのことをして、両親を助けました。

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写真 当時の暮らしがわかるワイパフ・プランテーションビレッヂにある日本人の家

サトウキビ農民のために建てられた家から畑まで、業者が作った電車で通いました。
「お金が溜まったら、この業者に縛られた生活から離れたいと思っているんだが、なかなか現実にならずにまた一年が過ぎてしまった」
そんな思いを胸に秘めた親の気持ちを組みながら、日系二世の子供たちは育っていきました。

サトウ業者にコントロールされた生活の中で育った子供たちの生活は、朝7時からお昼までが学校で勉強し、お昼からはサトウキビ畑で働き、夏休みの間は、朝6時から4時半まで、その間に取れる休みはお昼ご飯休みのたった15分という過酷な毎日でした。

ハワイがアメリカの植民地になった時、ハワイには140校の公立学校があり、55校の私立校がありました。サトウキビ畑の子供たちも、地元の学校にアメリカ人の一人として、普通に通うことができました。地元の学校だけではなく、日本人学校にも、一日に一時間は通っていました。

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写真 1914年ワイパフに存在した公立学校 A History of Hawaii より

しかし、サトウキビ業者からしたら、必要なのは将来を担う子供が学力をつけることではなく、一人でも多くの労働者を確保すること。業者たちは、子供たちが日本人学校へ行くことに反対しただけでなく、公立の(アメリカ)学校に行くのにも反対しました。その彼らの意向に、業者とは全く別の組織だった教師側が、大反対。二世は、かろうじて学業を続けることができました。

日系の子供が通う日本人学校は、サトウキビ業者たちはハワイ政府に圧力をかけ、1923年教科書や教師たちをコントロールするのは日本人であってはならない、政府が関与する、という法律が設立しました。理由は日本人の力を恐れてのこと。人権を全く無視し、奴隷のように低給料で働かされていた日本人たちは、時折デモを起こしていたからです。1890年から1925年の間にあったデモ36件の中、24件は日本人が起こしたもの。日本人が愛国心を保持し結集することを避けたく、日本人学校をコントロールしようとしたのです。しかし、当時の日本人の芯は強く、そんな陰謀に負けることはありませんでした。1927年、アメリカの最高裁判所にまで訴えに行きました。そこで「アメリカ政府が語学学校をコントロール必要は全くなし」と認められ、その1923年に出来た法律は消滅しました。

親の努力を見て育った二世たちは、努力家でした。家では日本語でしか話されずにいたので、アメリカ人の子供に比べると英語力がかけた。そこで、誰よりも勉強した。ただ、プランテーション出の家では子供を大学に行かせる費用がありませんでした。そんな彼らに力をかしたのは本願寺の人たちや、日本の皇族、伏見宮 博恭王。彼らに向けて奨学金制度を作り、勉強したい意欲を持つ二世たちを大学に送りました。ただし医者や歯医者は日系人を支える役目にならないから、法律や政治を学ぶようにと、仕向けました。だから日本人の名前がつく弁護士や政治家がハワイには多いのです。

そんな具合に、着々と日本人の地位をハワイで気づいていった日系人たちですが、1941年に日本軍隊は真珠湾を攻撃したことがきっかけで、再度、苦境に押しやらせてしまいました。日本人学校は廃校になり、教師やお坊さんなどの日本人をリードする立場にある人、皆、日本人収容所に入れられてしまいました。

収容所に入れられなかったにしても、近所から虐めを受けたり、日本人であることを隠さないと就職できなかったり、子供たちも学校の中で白人たちに虐めを受けたり、何も悪いことをしていないのに(アメリカで生まれ育った二世だというのに)日本人の血を引いているというだけで、大きな屈辱を受けることになったのです。

その屈辱を晴らすきっかけを作ったのが422連隊戦闘団です。1944年10月24日、ドイツ軍に包囲され失われたテキサス大隊と言われた部隊を解放しました。テキサス大隊211名を救うために、422部隊の216人が戦死、600人以上が手足を失うなどの重傷を負いました。さらに、ダッハウ強制収容所の人を解放したのも552の日本人部隊でした。命を惜しまず戦った彼らの戦場での活躍が、日系人の名誉と誇りを取り戻してくれたのです。(442部隊はアメリカ軍事史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊です。)生存者の衝撃的な証言の数々をフィーチャーした感動のドキュメンタリー映画→ https://www.facebook.com/GoforBrokeHawaii/

アメリカで生まれ育ち、アメリカの教育を受けならも、日本人の心を日本にいる日本人以上に受け継がれた日系二世たち。強く立ち上がった理由は、国家のためではなく親のため。親の苦労を見てきた彼らは、親の誇りを取り戻すために、立ち上がったのです。わたし自信、親とて、人として、とてもリサーチし書きながらとても考えさせられました。

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最後に当時の様子と彼らの気持ちが現れている文章。近年まで政治家としても大活躍した故人ダニエル·イノウエ氏が残した記述を紹介させてください。(参考資料:Menton Tamura 著 ハワイの歴史)

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写真 近年まで政治家としても大活躍した故人ダニエル·イノウエ氏

戦争が始まってすぐの時、政府の命令で、ショートウエイブのラヂオを取り締まりが始まった。わたしの父もちょうど新しいそのラヂオを買ったばかりだった。とても綺麗なラヂオだった。

ある日、3人の軍人が家にやってきて父はいるかと聞かれた。

「父はここにいます」と答えるやいなや奥から父の声がした「どうぞ入ってください」と。
軍人の一人は「いいえ、入らないで結構です。ラヂオを外に持ってきてください」と言った。

父と私は一緒にラヂオを外に持ち出した。すると彼らはドライバーを出してきてそのラヂオを分解し始めた。
父の目を細めていたが、何も言わずにその光景をただ眺めていた。

ラヂオは少しずつ分解されてゆく。。。突然、父は口を開いた。
「手伝わせてください」

そういうと奥から斧を持ってきた。
父は私の「お父さん、やめてください」の声も聞かずにラヂオに向かってその斧を振り上げた。

「君たち。どうか銃を下げてください。ただお手伝いがしたかっただけなのですから」軍人たちに微笑みながらそういうと、
父を斧をラヂオに向かって振り下げた。当然ラヂオは一発でバラバラになった。

そして父は続けた。「どうです?これで満足されたでしょう。どうぞお引き取りください。散らかったラヂオは息子に片付けさせますから」
そういい残し、部屋に戻っていった。

こいつらは人間なのか?!そう思った私は、軍人に言った。

「父は、2回も(アメリカ軍人のために)献血をしたんですよ!!何も悪いこともしたことない。一生懸命、働いて頑張ってきた父なのに。。。」

胸がつまり、声が出なくなり、ただただ彼らを睨んでいると、彼らは何も言わずに立ち去っていった。

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彼はその後、422部隊として参戦し、腕を失いました。

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過去があるから今がある。。。今があるから未来がある。
それではまた次回まで
アローハ!

記事: エミコ•コーヘン
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