大きな木々が心地よい木陰を作る「ハワイの心地よさ」にアンダーラインを引く様な場所、カピオラニ公園にやってきました。
今日はこの公園のお話をします。
カピオラニ公園は、300エーカー。東京ドームの26個分の大きさです。その大きさに驚かされますが、実は、歴史のある場所でもあるんです。
遡って1870年。ホノルル在住の資産家が、ポロの競技場にとこの土地を開発する計画がありました。カイウラニ王妃の父親アーチボルト·クレッグホーンを中心にプライベートな所有地になるところにカラカウア王を足し、ポロ競技場と公園を一緒にすることにしたのです!
こうしてハワイで一番大きな公園は1877年にオープンしました。
ポロの競技場、池あり野原あり、後にバンドスタンドの舞台までも作られ、理想的な公園となりました。
すぐにローカル達に愛される公園になりましたが、1900年、公園が州の管轄になった時に、公園の中に元々あった自然の沼地や池が埋め立てられ、公園の敷地はさらに拡大されました。
1919年、公園の72エイカー東京ドーム6個分の大きさが使われ、そこにホノルルの動物園が出来たのです。
動物園がオープンした同じ年に、ブロンズ彫刻の噴水フォニックスファウンテンが出来ました。
この噴水は、日比谷公園にある噴水のレプリカ。大正天皇の戴冠式の記念として日系人会から寄与されたもの。日系人たちの憩いの場となりました。
しかし
1941年真珠湾攻撃の一件で、噴水は壊され、その後も再建されることはありませんでした。
そんな傷は残すことなく、戦後の1950年、大々的な復旧作業が。バンドスタンドは新しく作りかえられました。ちなみにスタンド2000年にも再建されました。今はそこで、ハワイ王国が行なっていたことをそのまま引き継技、毎週日曜にロイヤルハワイアンバンドのフリーコンサートが行われています。
1956年、ワイキキシェルが1937年に始まり1950年に全米のテレビでも流れる様になったコダックフラショーの会場として公園の一部に加わり、大規模なコンサートも行われる様になりました。約8000人が利用できる大きさで、過去にフランク·シナトラやエルビス·プレスリー、ジミー·ハンドリック、ボブ·マーリーなどもここでコンサートを開きました。
現在、この公園は、ハワイアン独立記念日とされるハワイアン祝日の日には、馬のレースやクリケット戦や、サーカス、青空市、アーチェリー大会、コンサートなどが行われ、ホノルルの住民の憩いの場として活躍しています。
カピオラニ公園の歴史を振り返ってみると、ここは、ただの公園ではなく、音楽と文化を育てた空間だということが理解していただけたと思います。
次は最終回。
ダイアモンドヘッドについてお話しします。
では次回まで!
記事: エミコ•コーヘン
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