CULTURE

西洋医学とハワイアン医学

ブログ33-1

写真 古来存在した人を治療するカフナは、人体のことだけでなく植物の命や意思をまで把握していた。

「私は西洋医学を信じてる!」
「いや、僕は断然、東洋医学だ!」

こういう論争は(とくに健康を気にするサーファーが多いノースショアだからかな)私の周りでよくあります。そのたびに私、思うんですよね。「西洋と東洋の方式が、どこでどうして、ここまで分かれてしまったんだろうか」「両方の良いところをとってブレンドすることは出来んかったんだろうか」と。

医療の歴史。。。ハワイの歴史の中では、こんなことがありました。

1778年にキャプテンクックがハワイを発見した後、多くの西洋人がハワイに移住する様になりました。で、医療。1820年から1830年に西洋の医学が入ってきた時に、当時のハワイアンたちは、特別、その医学が進んだものだと感じなかったそうです。というのは、どちらの治療方法を取っても、「病気になった人の病気を表面に浮き出させることが大切」だとか、「毒となるものを吐かせるたり、下から出す(汚い話ですみません)ことが大切」だとされる部分とか、「気候や食べ物や性別や生活のリズムや年齢などの個々の生活のバランスが乱れたときに病気になる」とか、素となる考えは、ほぼ同じだったからです。

ただし、アプローチの仕方が違いました。西洋医学ではある工場で作られた錠剤を、世界のどの場面でも使ったのに、ハワイアンの治療方法はその土地で採れた薬草を使っての治療でした。薬の最終は、ラーアウの月の日。ただ採集するのではなく、植物の命や意思を理解した上で、採取に適した日が選ばれて採取され、調合されました。

薬だけではありません。人との関係のバランスの悪さが、病気を産む原因ともされていました。例えば、家族の誰かが不治の病になったとすると、ホオポノポノが行われました。ホオポノポノとは、家族全員が集められて、家族の中で悪い行動を隠している人がいたら、そこで吐き出させる。吐き出させ、正しい方向にみちびいてゆく。というのは、家族の誰かが悪いことをしていると、それが他の家族メンバーを病気にするのだと考えられていたからです。

王家のお産が行われた場所として有名なクーカニロコでは、お産予定日の数週間前から、薬草を調合したものを含めて厳しい食事療法が行われたため、妊婦は全くお産の痛みを感じなかったそうです。

これらの治療は「カフナ」と呼ばれる植物にしかり人にしかり「命の意味を知る専門家」が統一し、行われていました。(kahuna la‘au lapa‘au)

1000年以上も全く海外とのコンタクトがなくとも、「完全エコシステム」が整い、食べ物に恵まれていたハワイを支えたのは、人々だった。ということは、一人一人が心も体も健康だったというわけです。「病気には気候や食べ物が大きく関係してくる」ときっと当時の西洋の人も感じただろうに、なぜその古来から伝わる「優れた治療方法」を学ばなかったのでしょうか? 

そこにあるのはエゴ。「自分たちの方が優れているんだ」という西洋人のエゴでした。。。ただ全員が全員、そうではありませんでした。

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写真 クーの神様の移り変わりと言われている滋養供給に優れたブレッドフルーツ(ウル)。古来の人は口から摂取するものへの意識が今の人から想像もできないほど高かった。

「西洋人の多くの者は、古来から伝わるものを古臭いものとし、新しいものを押し付けようとする。が、土地の人々に活かされていた療養には、きっと人を癒してゆく特別な力があるはずなのである。それに蓋をしようとする行為は間違っている」

「ハワイで起きている病気を治すということは、ハワイでの生活の全体像を見つめるということなのに、それまで住んでいたネイティブ(ハワイアン)たちが、どの様な生活をし、どの様な治療方法をしていたのかに耳を傾けないというのは、ありえないことだ」

と公言し、ネイティブたち(アシスタント=Ho‘ohano)に古来の療養方法の情報を集めてまとめ、その古来の医療方法を法律的にみとめようとする運動を進めたのが、西洋からきたドクタージェット(Gerrit Parmele Judd -1873年死去)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gerrit_P._Judd

彼が後のハワイに残したものは計り知れないほど。例えば、研究の結果の一つで、イプ(ひょうたん)に朝顔(ハワイのKoali)と、日本の梅(ハワイのPipa)を混ぜることで、西洋のある薬と同じ効能があるということが、明確にした。ハワイ初の医学学校を作った。西洋人が(世界の人が)理解しやすいシンプルかつ確実な訳をつけた教科書を作った。歴史家や語学研究家とも絡み、ハワイアン先住民の生活を西洋の人に理解させる活動をした。などなど。

彼の功績のお陰で、ハワイ社会の西洋人への理解が深まったのです。古来のハワイアンたちと絡むことで、きっと彼は、病気は医療系の範囲に留まらず、囲まれる全てのこと、もの、人が、病気に繋がっているのだと理解できたらからこそ、広範囲で活躍されたんでしょうね。彼の生き方をみると、いかに自分が局面ばかりに縛られて全体像を見ていないことに改めて気付かされます。

アロハは永遠。永遠は太古にづつく。
それではまた次回まで。
アローハ!

  ブログ33−3
写真  最後のカフナが80年代に亡くなってから、もうカフナはこの世に存在しない。植物の声を聞くことができるのやいまや虫たちだけなのかもしれない。

  
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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