CULTURE

ハワイ交通機関の歴史

Randy-Chevy woody-#7-Jan.'94

渋滞が年々激しくなるハワイ。住民もそうですが、観光で来られても予定通りにことが進まない。なんとかならないものでしょうか?現在電車を設立作業に力を入れているハワイですが、レールが引かれるのは島の一部だけ。税金だけが高くなり、渋滞の助けには全くなりそうもない。とほほ。。。。ですよね。。。文句ばかり言っていても仕方ないん。なにか気を納める術はないだろうか。。というわけでハワイ交通機関の歴史を一緒に掘り下げてみることにします。

紀元1400年から1700年あたりまで、ポリネシアンの航海士たちが徐々にそれぞれの島に定着していった頃の交通機関の中心はカヌーでした。人々は漁業と農業を中心に生活していたので、海周りに住んでいた。なので、島の中を移動するにしても、海周り。カヌーを使って他の村の訪問に役立てていました。

それぞれの村のアリイ(王家)たちは、一年のうち住居を何度か変えたそうです。もちろんアリイ(王家)を乗せるカヌーは、丈夫なものでなければなかった訳で、大抵一本を丸ごと使ったもの。まず沈むことはなかったそうです。もちろん一般の人が使うカヌーも丈夫でした。アリイが乗るものよりも質は落ちたといえど、厚さ3センチくらいに均等して掘られたカヌーは、とても精巧に作られていました。理由はカヌーが住民たちの生活を支えていたからと言えばなぜカフナと呼ばれる特別な職人が魂込めて作っていたか、納得行く事実です。自分の村にないものを隣の村からいただく。食べ物、水、薬、または儀式への参列の為など、アフプアアシステムが充実していたといえど、他の村との行き来は古来ハワイの生活を支えるのに、とても大切なものでした。

またちょうど同じ頃(キャプテンクックが到来する前)山側に住む人たちと海側に住む人たちの行き来も充実していました。交通機関は「自分の足」。スムースに歩いていける様にトレイル(山道)が作られていました。ハワイ島の人たちは尖った溶岩の上に道を引かなければならなかったので、自然の力でスムースなツルツルの石をその(山道)トレイルに引いたので、舗装道路の様に整っていました。

西洋の人がハワイにくる様になってからは、馬が交通機関として活躍しました。馬が入る様になってからは、トレイルも幅広くなりました。1850年の交通機関は、馬と電車が主。そして1850年8月30日。ホノルルのの35の道に公式な道の名前がつけられま
した。その道を使う人のほとんどが歩き。その歩く人を避ける様に馬や個人で作った荷車が、行き来していました。1868年。初めて馬が引くに車がハワイに登場しました。

1888年。馬が引っ張るバスが、ダウンタウンからワイキキの間を走る様になりました が、電気系で動く路上電車ができた1902年以降は、馬が引っ張るバスだけでなく、馬に乗る人もグンと減りました。1901年の人が残した話では「ダウンタウンに住んでいたらダウンタウンで働いていて、カイムキやマノアにわざわざ働きにいく人は誰もいなかった」と。地元に皆、密着していたのです。ワイキキの観光ビジネスが盛んになるに伴い、ワイキキから水族館、カイオラ二パークやビショップまでの電車が走る様になりました。
 

'The Bus'-Makaha-Jan.'03

1915年。それまで走っていた電車は用なしになり、バス中心の時代になります。路線電車が完全に消えたのは1941年7月1日のことです。バスはハワイで本体を作られ、最初はガソリン車でしたが、後にディーゼル車が使われる様になりました。

一般の人にはあまり利用されていなかったのですが、サトウキビを移動させたり、王家の人を旅させた電車。1895年にはワイメアやカエナポイント、モクレイアそしてカフクまでレールが敷かれました。

車が走り出したのは19世紀の後半でした。1899年の10月に島で初めての車がハワイに入り、1900年に最初のガソリン車がハワイに入りました。その後、半世紀に渡り、道が次々と出来、車の数が増えていきます。そしてココヘッドからファーストアベニューまで、初めてのH1が、1965年6月21日に完成しました。

と、ここまでは記述に残っていることです。で、これからは私が口頭でハワイアンから聞 いた話。古来ハワイではノースショアで採れた魚が腐る前にサウスのアリイまで届けるこ とができたそうです。その話は、、「いくら足の速い人でもまさか~」と疑いました。その疑問にハワイアンのおばあさんがこう付け足してくれました。

「ハワイはね、足元にあるこの土の下は、空洞になっているのよ。そこをメッセンジャーが走って通ったと言われているの」

え~~~っ!!!! だからかなんですね!! 魚をノースショアからサウスまで腐らないうちに届けることができたのは。そういえばハワイアンヒストリーの先生がイオラニ宮殿に行った時に言ってました。策の中に山になっている場所は、地下の空洞の入り口だったと。ボヤボヤして聞いてたその言葉がおばあさんの言葉と繋がりました:)ちなみにその空洞。アメリカ領になった後に、スパイが地下に隠れられてしまうことを恐れて、爆破してしまったそうです。

'The Bus'-Makaha-Jan.'03

なにはともあれ、こうして交通機関の歴史を調べて見て、、、「渋滞は激しくてもまだ過
去の人たちより便利になっている」、、はい、気が治りました(笑)

それではまた次回まで。
アローハ!

記事: エミコ•コーヘン
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