「日本では増えているんですよ、フラにハマりすぎて借金したり離婚したりと不幸な結末になるということが」
先日、千葉県でフラを教えている方からこんな望ましくない話を聞きました。理由を聞いてみるとレッスン料金が高いだけでなく、発表会のチケットをノルマとして売らなければならないし、ハワイからカフ(スペシャリスト)が来た時にはその人のワークショップに出なければならない。プラス、そのカフが持って来たスカーフなどを買わなければならない。私が最も驚いたのはスカーフを買うのを断れば「ハワイの神さまの血を引く人が持って来たスカーフを買わないなんて!」と避難されてしまうそうなんです。ハラウが提示したことを断るたびに「その態度はアロハではないわ」と!!!
すみません、いきなり鼻息荒くしてしまいました。(苦笑)
ただ、アロハが商用として使われるのは悪くないことだと思います。お金がなければ生きていけない時代ですから。ただ、商用として使われるだけで「本質が全く伝わってない」という事実にいても立ってもいられない。数年に渡りアロハ哲学を研究してきたことをここでお話しさせていただきたいと思います。
実はハワイでも今の日本と同じようなことが過去に起きました。観光業が盛り、それに伴いアロハの本当の意味が、完全にこの世から消えつつありました。が、その危機を救う出来事が起きたのです!!1970年、ハワイ州の政治家たちを集めたアロハミーティング。会合の意図は「うまくアロハを使い、より観光客を集める」ということでした。
壇上に登り意見を述べ合う政治家たちの話を聞いていたギャラリーの一人(ハワイアンの女性)が急に立ち上がり、ステージに上がり「本当のアロハの意味」を伝授し始めたのです。彼女の話は多くの人の心を捉えました。その定義をモエ·ケアレなどの歌手が歌にし「アロハの定義」はそれまで以上に広がったのです。その女性の名前はピラヒ·パキ。彼女はライブラリアンでした。ライブラリアンというと図書館で本を貸したり整理したりする人ときっと今の人は捉えることでしょう。しかし古来ハワイでの意味は違います。というのは古来ハワイには文字というものが存在しなかったからです。クムリポもそうですが、創世記からの血筋(歴史)をしっかり今まで伝えられたのは口伝えです。しかしただの口伝えでは、噂話が広まるように瞬く間に真実から遠ざかってしまいます。。
古来ハワイアンは、伝えられなくてはならない大切は話は、記憶力と理解力に優れ、冷静にそれを守れる特別な人だけに伝えられたのです。伝えられた人は自分の死を予感すると、次世代にそれを継いでくれる人を探す。そこで選ばれたのがこの女性ピラヒ·パキでした。本来なら彼女も古来のやりかたに従うのが筋だったのでしょう。が、あまりにも乱れてゆくハワイに耐えられずに、こんな形でアロハの本当の意味を大衆に伝えたのです。「お前は白人の時代に産まれたのだからそれなりの対応をするのが正しい道だ」彼女がお父様から受けたメッセージです。彼女が勇気を持って伝統を崩したことが、アロハを救うことになったのです。
そして。。。。現在、すでに彼女は他界しましたが、その彼女から直接アロハの意味を伝授されたのが甥、ポノ·シムです。ポノの父はハワイの民主化運動を引っ張った人でダライ·ラマをハワイに始めて呼んだ人。彼自身、政治家たちや経済リーダーたちに「アロハリスポンス」というアロハ哲学を伝授する人です。実は私はその彼のスピーチの一部に強く惹かれてしまい、直接オフィスに二度ほど会いに行きました。直にその彼から聞いたアロハの意味をここに皆様にシェアさせてもらいます。乱れるアロハを少しでも食い止めることができれば、と。
A アカハイ 人との接し方。。人との接し方は、白い手袋をし壊れものを扱うように丁寧に行う。人との関係は、誇り一つ残さず気品を持って対応する。
L ロカヒ 繋がり。。。エカヒのカヒは数字の1だが、無理やり繋がろうとするのはホオカヒであり、ロカヒではない。無理やり繋がろうと アローのロー。ローカヒのローは、飾らない本当の自分。飾らないもののどおしのつながり。噛み砕いて見ると、仕事も
趣味も育ち方も国境も超えた命の繋がり。それがローカヒ。この定義を守れば人類はみんな平等で、一つになれるのだ。
O オルオル。。。これも人との接し方。。。優しさと訳すが、物事には陰陽の二面性がある様に、優しさと強さを示す。例えば母親が赤ちゃんを抱える時の様。(優しく抱きつつも決して落とすことのない強さを保ち抱える)
H ハアハア。。。空になるということ。。。しがらみも何もかも全てを吐息と共に吐き出すのだ。空にすれば本当の自分が見えてくるはず。本当の自分を知り、新たに人と事につながってゆく。それが正しい繋がりなのだ。
A アホヌイ。。。忍耐力。。。退屈に耐えるのではなく大事な瞬間を待ち、常に構えること。獣が獲物を狙うように。ただしその瞬間は、自分の時代には来ないかもしれない。次世代かもしれないのだ。世代を超えての責任を持つこと。それが人の正しい生きる道なのだ。
空になる瞬間 空になれれば自分との他人との自然との嘘のない繋がりが成り立つ
アロハを実践すると様々な変化が起こる事に気がつきます。自分が少しずつ変わってゆくのに比例して周囲とのバランスが崩れる。わかりやすい例えば夫婦関係が今まで「喧嘩を売られたら買う」というので成り立っていたのに、喧嘩を売っても相手が買ってくれなかったら、寂しく感じるんです。ただそこでアロハを実践するものが「自分は特別なんだ」と思ってしまってはダメ。もともとアロハは社会の中で活かすもの。本当のアロハを知れば周囲への気遣いもおのずと生まれるのです。だから文頭のようにフラを初めたから周囲との関係が悪くなるという人が増えるのはアロハの伝えられ方が間違っているからだと思うんです。アロハにエゴを混ぜたら悪になるんです。それは私自身も実感しましたからわかります(汗)。
「アロハは教えたり教えられたり売ったり買ったりするものではないんだよ。アロハは、それぞれの人がそれぞれの形で実践するものなんだよ。」
そう私に教えてくれたポノは、子供の頃にある気づきがあり、アロハを実践する様になった、と言っていましたが、長年アロハを実践した結果、脳波を調べたら彼の脳が普通の人よりも3パーセントほど多く使われていることがわかったそうなんです。様々なところで冷静な彼に近づきたいと思っている私も自分なりの「アロハリスポンス」を編み出したのですが、それは原子を感じることです。ハワイアンを勉強していて理解できたのは、すべてこの世のものは、天からできたもの。私たちの細胞全ても天からできたものだということは、神話的にも学術的にも証明されていることです。ハワイアンたちは科学が発達していない時代からそれを知り、口づたえで伝えられてきました。だから神様「アクア」の他の意味はバクテリア。バクテリアが、死んだものを砕き、土に栄養を与えるのです。木や空気や海や風、そこには原子が動いていると知っていたのです。その伝統的な教えを実践するハワイアンに言わせると、コンクリートも黒板もまな板もコンピューターも、全て天から預かった原子が集まって出来ていると考えています。私はそこにアロハはあると思います。この世にある全てのものの中には原子が生きて動いているんだと思うと、なんだか全てのものが踊り出してくれた様に思えるんです(笑)。。。「お花が笑った、お花が笑った、お花が笑った、み~んな笑った」って日本の子供向けの歌があるじゃないですか。。。そういう考えはみ~んな実は知ってるんですよね。
全てのものは生きていて、楽しそうに踊っているんだってことを。。。
え??エミコさん大丈夫ですって??? (笑)
大丈夫ですよ。ただアロハの履き違えで苦しんでいる人たちを救いたいだけ。
だって素晴らしいものなんですから。アロハと共に生きるということは!
”皆様がアロハの心で生きること”
心から願っています。
それではまた次回まで
アローハ!
記事: エミコ•コーヘン
ノースショアの宿(ハワイラブカード加盟店)
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You tube「英語の勉強しよう!」https://youtu.be/2MlQIl2N3dI
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